「家族空間」研究室/外山知徳(とやまとものり) | ||
| プロフィル ●2007年3月 静岡大学を定年退職 ●静岡大学には住居学の担当者として赴任 26年勤めました ●武蔵工業大学で建築学を学んだ後 東京大学の大学院に進学し プロフェッサーアーキテクトの池辺陽教授の研究室で建築記号学を研究し 記号学的設計方法論で工学博士号を取得 ●池辺研究室の助手を務めた後にAlexsander von Humbold Stiftungの奨学金を得てドイツのTechnische Hochschule AachenのPr.Dr.Manfred Speidelのもとに留学 2年後アメリカの故Thomas A. Sebeok教授(Indiana University)のもとで半年間研究を続けて帰国 静岡大学に赴任 ●現在は静岡大学名誉教授 静岡家庭裁判所家事調停委員 常葉学園大学教育学部非常勤講師 静岡福祉医療専門学校非常勤講師 静岡県インテリアコーディネーター協会顧問 日本記号学会会員 日本建築学会会員 家族問題研究会会員 BS呼吸法の会代表 ●連絡先:t.toyama#ny.tokai.or.jp(#を@に変えてご連絡ください) 2009.06.12.更新 目 次 ◇秋葉原無差別殺傷事件に学ぶ子育ての基本 ◇『住まいと暮らしが、ハーモニー。』 ◇メッセージ ◇住まいを見直してみませんか? ◇「家族空間」という視点の難しさ |
秋葉原無差別殺傷事件に学ぶ子育ての基本 とんでもない事件が次々に起こる昨今。世間を驚かせた事件も半年も経たずして風化してしまいかねない。そんな有様に流されることなく、学ぶべきは学んでおきたい。ここでは、2008年の6月に東京の秋葉原で起きた通り魔事件に、子育ての基本を学んでおきたい。貴重な手がかりが、事件を起こした男が携帯サイトの掲示板に書き込んだと見られている文章にある。 “親が書いた作文で賞を取り、親が書いた絵で賞を取り、親に無理やり勉強させられてたから勉強は完璧”。 “親が周りに自分の息子を自慢したいから、完璧に仕上げたわけだ 俺が書いた作文とかは全部親の検閲が入ってたっけ”。 “高校出てから8年、負けっぱなしの人生 悪いのは俺なんだね”。 彼は小中学校までは優等生だったのが、高校に入ってから崩れ、卒業後の進学も思い通りにはいかなかったという。しかしこの書き込みから、中学までの優等生が、実は親の手によって作られたものであったことが分かる。学校の勉強も中学ぐらいまでは親が取り繕うこともできるが、高校になると難しくなってそうはいかなくなる。そこから自分で努力して自力をつければよいのであるが、それはそう簡単にはいかない。それまで親がやってあげていたために、急に放り出されてさあここから先は自分でやれと言われても、自分で努力することが身に付いていないからどうすればよいのか分からず、やったところで成果が上がらない。社会に出ても同じこと。やがてストレスも嵩じ、自暴自棄になり、挙げ句の果てが家庭内暴力ならぬ無差別殺傷という家庭外暴力だったというわけである。 家庭内暴力児や登校拒否児が世間をにぎわした1980年頃、過保護・過干渉ということがよく言われた。秋葉原の事件の背後には、まさに親の過保護・過干渉によって発達を阻害された子どもの姿がある。近年、過保護・過干渉ということばを聞かなくなってしまったが、それは形を変えて根強く子育ての現場に引き継がれていることを、見せつけられた思いがする。ここに過保護・過干渉の何たるかを学び、是非、自らの子育てに応用していただきたい。 言うまでもないと思うが、子どもの勉強を見てあげるというのは、親が手を加えて良い成績がとれるように偽装することではなく、子どもが自ら努力し、解決する力が身に付くようにしむけることである。たとえば子どもの間違った解答を見つけた時は、正しい答えを示してあげるとともに、なぜそういう間違いをしたのか、その原因を子どもに気づかせてやることであり、正しい解答が身に付くように繰り返し練習を促すことなのである。そうすることによって身に付く能力は、学校の勉強に留まらない。そして、そういう親子の関係の基に育てば、子どもが人との良好な関係を築けないはずがない。それらは社会に出てからの人間としての基礎力になるのである。[2008.07.15.記]TOPへ戻る 『住まいと暮らしが、ハーモニー。』 静岡県住まいの文化賞創設20周年記念誌『住まいと暮しが、ハーモニー。』が2008年3月に静岡県住宅振興協議会より発行されました。内容は、住まいの文化賞の最優秀賞(県知事賞)を贈られたこれまでの住まいの再訪記を中心に、住まい手と設計者と施工者の対談などで構成されていて、住まいづくりに必須のノウハウが一杯詰まった、とても興味深く、また住まいづくりの参考になること請け合いです。静岡県住宅振興協議会は静岡県県民部建築住宅局住まいづくり室内に事務局を置く、静岡県の住宅産業振興のための組織です。電話は054-221-3084ですので、関心のある方は連絡をして、お求めになると良いと思います。私は静岡県住まいの文化賞の審査委員長を昭和63年度の第1回から平成19年度の第20回までずっと務めさせていただいだので、私にとって、この記念誌の発行はとりわけ感慨深いものであります。そこで、ここに少し、そのことに触れてみたいと思います。 静岡県住まいの文化賞は、静岡県内において、自然・風土・伝統文化など、地域の特性を生かした住宅と、住生活および住文化の育成に貢献した個人または団体を顕彰するもの、ということになっています。しかしそれは具体的に何がどうなっていれば特性を生かしたといえるのか、また住生活・住文化の育成に貢献したといえるのかということになりますと、さらに踏み込んだ評価基準が必要になってきます。 それを説明するということになりますと、住まい手のライフスタイルを設計者がどう受け止め、提案し、施工者はそれをどのような技術で実現したか、その結果、住まい手はどのように住みこなしているのかという、住まい手と設計者、施工者の三者の協調を評価する表彰制度であるということになります。これは住宅の設計が単に間取りや建物の形の設計ではなく、そこに住む家族の暮しの設計でもあることからすれば、当然の評価基準といえますが、実はこれはそう簡単なことではありません。 たとえば学校建築の設計を例にとって考えてみると、設計者は学校の教育理念や経営まで設計することになります。オフィスビルであればその会社の経営組織まで設計するのです。もちろん実際にはそんなことはふつう行われていません。でも、実はそれは建築設計の理想なのです。あくまでも理想であって、やりたくてもやらせてもらえないというのが実情です。学校の教育理念や経営の仕組みは「与条件」として設計者に与えられるのが実情です。 ですから多くの場合、建築賞は建築主の理念や経営にどうかかわったかなどは評価の対象とはせずに、もっぱら「造形」に限って評価をしているのが実情なのです。つまり、ここに、「良い建築」とは「造形的に優れた建築」であるという通念を生む素地があるのです。 しかし静岡県住まいの文化賞はそこに堕すことを快しとしませんでした。あくまでも住まい手と設計者と施工者の三者の協調を評価するという理想を貫いたのです。つまり静岡県住まいの文化賞にとって「良い住宅」とは、「造形的に優れた住宅」ではなくて、「三者の協調が優れている住宅」なのです。そのために、竣工したばかりで実際に人が住んでいない住宅や、引っ越して間もない住宅は評価のしようがないということで、少なくとも6ヶ月以上住んだ住宅を応募対象にしているのです。 実際、第1回目の住まいの文化賞に入賞した住宅の中には、建ててから13年も経った住宅がありました。ふつう、建築賞は竣工したての建築に与えられ、この点も、静岡県住まいの文化賞の、いわゆる建築賞とは性格を異にするところであります。したがって、いわゆる建築賞を理解するつもりで静岡県住まいの文化賞を理解しようとすると、理解に苦しむことが少なくありません。入賞した住宅を見ても、造形的に少しも優れているとは見えない、何でこんな住宅を表彰するのだという意見を抱くことも少なくないのです。 もちろんこのような評価基準が最初からすんなり用意されていたわけではありません。審査委員が侃々諤々議論を積み重ねてつくってきたものです。この表彰制度が住まいの文化賞と銘打っていたこともあって、「住まいの文化」とはいったい何なのかということが、はじめから審査員の頭を悩ませました。おそらくこれが「住宅賞」とでもなっていれば、それほど考え込むこともなかったかもしれません。対象を住宅に限定した建築賞の一つという程度の理解で済まされていたのではないかと思います。それが「住まいの文化賞」ということになると、「住宅」と「住まい」とは同じなのかどうか、違うとしたら何が違うのか。それに「文化」がつくとどう変わるのか、といったことが審査のたびに議論されました。 そういう議論を通して確認された評価基準にもう一つ、「特殊解の中に一般解を見いだせるか」というのがあります。これは住宅に限らず建築というのは特定の土地の上に建てられているため、全て特殊解であるといえます。しかしそれでは比較して優劣を競うのが困難になってしまいます。そこで考えだされたのが、その特殊解である建物、住宅が、他にも応用できる普遍性をどれほど内包しているのかを見て評価してはどうかということです。 これは応募される住宅が実に多岐にわたり、戸建て住宅もあれば集合住宅もある。専用住宅もあれば併用住宅もある。豪邸もあればローコスト住宅もある。大邸宅もあれば小住宅もある。ということで、これらを同じテーブルに載せて比較して優劣を見極めるためには、どうしても必要な評価基準であったのです。しかし一般解、普遍性といっても、具体的に何がそれに該当するかを審査員はひとつひとつ見極めることを求められるのですから、かなりの見識を持ち合わせなければ務まりません。これもきわめて理想主義的な基準といえます。 しかしさらにこの観点を敷衍し、先の三者の協調という評価基準と組み合わせると、どのような暮しの提案がなされているのか、という評価基準も浮かび上がってくることになります。そこまで考えくると、一般解とか普遍性といったものが何を指すかがある程度見透せるようになってくるのではないかと思いますが、単に造形的に優れているといった基準とは全く違う評価基準であることがお分かりいただけるのではないかと思います。さて、こういった理想主義的な評価基準がどうして形成できたのかについてはいろいろな条件があったからだと思いますが、一つには、私がずっと継続して審査委員長を務めさせていただいたということがあったと思います。審査員はこの賞の主催者、静岡県住宅振興協議会の構成員である住宅産業関係のいくつかの団体・組織から選ばれている関係で、いわゆる「当て職」として、何年かすると人が交代してしまいます。結局、創設以来20年間、ずっと審査委員であり続けたのは学識経験者という第三者的立場で加えられた私だけになりました。やはり全員入れ替わってしまっては議論の積み重ねは難しかろうと思います。 もう一つ重要なことは、実は「家族空間研究」を標榜する私にとって住まいの文化賞は貴重な検証の場であり、そのことと評価基準は軌を一にしていたということがありました。「家族空間」とは、「家族の人間関係を内包する生活空間」のことで、これがどういうものであるのかについては私も編著者の1人として名を連ねている『ゆれうごく家族―地域は子どもをどう支えるか』(ミネルヴァ書房1985年刊)をご覧いただきたいのですが、住まい方どころか住みこなしまで含めて評価しようという三者の協調にしても、一般解としての住まいにしても、そこに通底しているのが、この家族空間という捉え方なのです。 したがって、住まいの文化賞と家族空間研究は、私にとってはクルマの両輪のような関係にあったわけです。しかし昨年静岡大学を定年で退職し、今年また、住まいの文化賞の審査委員長の座も降りることとなり、私の研究生活も一段落です。[2008.04.10.記]TOPへ戻る メッセージ 本を出しました。タイトルは『家族の絆をつくる家−失敗しない住まいづくりのための30講』出版社は平凡社です。1985年に『住まいの家族学』という本を丸善出版株式会社から出しました。講演のたびに、書いた本は?と問われるのですが、残念なことにこの本は今では図書館でしか読むことができません。絶版ではないのですが、出版社が100冊単位で注文しないと印刷してくれないのです。ですからこのたびの出版はとてもありがたく、また『住まいの家族学』には書くことができなかった、住まいや住まい方を変えることで登校拒否児が学校に行くことができるようになった実例など、私の理論の検証を含めることができました。 私の理論は、登校拒否のような家族関係に関係した精神病理が、住まい方によって家族関係についての情報が媒介された結果であるというものです。登校拒否になるような子は自分で自分のテリトリー形成をする力が弱い子で、テリトリー形成力は生育歴における住環境に大きく左右されます。そこで私はテリトリー形成力の発達モデルを作りました。このモデルにより、たくましいテリトリー形成力を育むにはどうすれば良いのかの処方を得ることができるのです。TOPへ戻る 住まいを見直してみませんか? どんな間取りの家に、どんな家族がどんな住まい方をしているのかを見れば、その家族が抱えている問題の病理を理解することができることをご存知ですか。たとえば、子どもが登校拒否であればその子がなぜ学校に行くことができないのかが分かるのです。<br> ということは、その問題解決の仕方も分かるということになりますよね。実際その通り。住まい方を変えるだけで登校拒否児が学校に行けるようになることもあるのです。住空間というのはそれほどそこに住む人の人間関係と深くかかわっているということなのですね。ですから、私は家族の人間関係を含んだ生活空間という意味で、「家族空間」ということばを使いました。1985年に出した『ゆれうごく家族』(ミネルヴァ書房)という本の中でのことでした。 一度、暇を見つけてご自分の家の間取りを方眼紙に書き取って、家族の誰がどこをどんな風に使っているのか書き込んでみることをお薦めします。多分、家族一人一人のイライラや不満や悩みなどが聞こえてくるはずです。そうしたら、どこをどうすればそれが軽くなるか、工夫を考えてみてください。そしてそれを実行してみてください。 もちろん問題解決のためには、家を建て替えないまでも増改築したりすれば、それに越したことはないかもしれません。でも、よーく考えてみると必ずしもそこまでしなくても方法は案外あるかもしれませんよ。家族で色々意見を出し合ってみてはいかがでしょうか。TOPへ戻る 「家族空間」という視点の難しさ 2007年5月13日(日)、日本家政学会の全国大会が行われている長良川国際会議場(岐阜市)に、同学会の住居学部会に呼ばれて行ってきました。話の内容は私の研究成果である家族空間病理学の理論と、テリトリー形成力、そして、今、住居学に求めたいことについてでした。聞きに来てくださった方々は住居学、もしくは住教育に関心のある家庭科教育の専門家ですので、単刀直入に専門的な視点で話をさせていただいたのですが、「家族空間」という視点の難しさを改めて認識させられたような気がしました。居合わせた質問者によれば、住まい手にとって住居は与えられるものであって、与えられた住居をどう住みこなすかというところではじめて機能するのが住居学であるというのである。住居学にできることは住環境をどう整えるかであって、家族の問題はそこから先の話でしかないというのである。それでは「家族空間」などという概念は存在の余地がない。私は住居学の専門家がそういう捉え方をしているということに正直に言って大きな衝撃を受けてしまった。住居学の専門家はなぜ住居学をそのように限定してしまうのだろうか。どういう住まいにするのかは住まい手の問題ではないか。どういう住まいにするのかは家族のあり方の問題ではないのか。住居学はなぜそういう視点で学問としての枠組みを設定することが出来ないのだろうか。かつて、平成元年度の学習指導要領では、家庭科の領域の一つである「家族の生活と住居」は、家族の生活と住居を関係づけて学習させることを前提としていた。どういう住まいにするのかは建設業者のすることで、家族の問題までは踏み込まない住居学では家庭科教育の役には立つことができないだろう。どういう住まいにするか建設業者や建築士に提案出来る住まい手を育て、家族のあり方を踏まえて住環境を考えることができる住まい手を育てることができる住居学とはどういうものか知りたい方は、ぜひ、『家族の絆をつくる家』を読んでいただきたいと思う。TOPへ戻る |
スケジュール ■2009年8月18日(火)静岡県高等学校教育研究会家庭科部会中部支部研修会講演:住居学の視点一住まいから家族を見つめる(於・静岡市立高等学校) ■2009年7月10日(金)静岡家族問題研究会報告「精神疾患が絡む近年のケースから」(於・静岡県総合社会福祉会館) ■2009年6月21日(日)パナホーム鷏講演:住まいづくりから考える「自信がもてる子育てセミナー」・22日(月)社内研修講座「テリトリー形成力」(於・広島市住まいとくらしの情報館) ■2009年6月19日(金)・7月3日(金)・6日(月)都田建設社長研修「記号学」(於・静岡市ナカノ工房一級建築士事務所) ■2009年3月2日(月)・16日(月)・4月13日(月)・27日(月)・5月11日(月)都田建設社内研修講座「テリトリー形成論」(於・浜松市鷏都田建設) ■2009年2月15日(日)ミサワホーム静岡講演「家族のコミュニケーションを深める住まいづくり」(於・日本平ホテル) ■2009年1月29日(木)静岡県高等学校長協会家庭部会講演「住まいから家族を見つめる―住居学の視点」(於・静岡県男女共同参画センターあざれあ) ■2008年10月4日(土)いしかわ21世紀住まいづくり協議会主催「かしこい住まいづくり講座」第1回<家族の絆をつくる家>(石川県文教会館) ■2008年9月25日(木)沼津市教育委員会家庭教育講座<自信がもてる子育て講座>第2回「テリトリー形成力をつくる家―住まいでできる子育て支援」 ■2008年8月14・15日 放送大学面接授業「家族空間と住文化」(静岡学習センター) ■2007年12月1日(土)大阪市立大学文化交流センターにおいてインテリア学会関西支部講演会「家族の絆をつくる家」 ■2007年8月24日(金)静岡大学教育学部公開講座<「消費生活」を科学する>「住生活と消費科学」 |