「家族空間」研究室/外山 知徳(とやま とものり)

プロフィル
●武蔵工業大学で建築学を学んだ後 東京大学の大学院に進学 建築家 故池辺陽教授のもとで建築記号学を研究 記号学的設計方法論で工学博士号を取得
●池辺研究室の助手を務め その間Alexsander von Humbold Stiftung奨学生としてドイツTechnische Hochschule AachenのPr.Dr.Manfred Speidelのもとに2年間留学の後アメリカの故Thomas A. Sebeok教授(Indiana University)のもとで半年間研究の後帰国 1981年静岡大学教育学部に赴任
●静岡大学には住居学の担当者として26年間在籍
●2007年3月 静岡大学 定年退職
●1988〜2007「静岡県住まいの文化賞」審査委員長
●1990〜2012 静岡家庭裁判所家事調停委員
●現在:静岡大学名誉教授 静岡福祉医療専門学校非常勤講師 (株)ナカノ工房一級建築士事務所 顧問 株式会社アクアラボ 顧問 日本記号学会会員 日本建築学会終身会員 BS呼吸法の会代表
●連絡先:t.toyama#ny.tokai.or.jp(#を@に変えてご連絡ください)
2023.08.27.更新

コンテンツ
「家族空間」という視点の難しさ
住まいを見直してみませんか?
『住まいと暮らしが、ハーモニー。』
メッセージ
秋葉原無差別殺傷事件に学ぶ子育ての基本
家庭教育・家庭科教育がますます難しくなってきた?
DVについて考える
気づきのモデル化
ゲーム化する世界
ザ・レジデンス セミナー
子どもの問題行動をめぐる親のあり方−発達記号論の可能性
インディゴチルドレンとwin-winモデル
日本記号学会第32回大会参加記
今、キミに気づいてほしいこと
日本記号学会第33回大会発表記
老親介護と認知症
「気づきのテキスト」
二つの違和感
生活空間記号学
登校拒否ケース・スタディー:トラウマの克服



種   子


登校拒否ケース・スタディー:トラウマの克服

 「近況」欄に不登校のトラウマ克服をサポートした事例を報告した。発端は静岡新聞が子ども部屋に関する記事作成に向けて、社会部の記者から取材を受けたことにある。拙論の「テリトリー形成論」について詳しく知りたいということであった。この取材結果は静岡新聞の特集記事ニュースアットホーム欄の「どうする?子ども部屋」1〜5(2021.4.2〜30)に反映された。
 この取材が縁となり、後の同欄の「不登校支援の在り方は?」(2022.1.14〜3.18)の特別編として組まれた、静岡県中部の不登校支援グループ「ココミュラ+(プラス)」の協力で実現した不登校経験者3人の座談会に、私も助言者の一人として参加することになった。座談会の内容は同欄に「不登校経験者座談会<上・下>」(2022.4.15・22)として掲載されているが、ハプニングは座談会終了直後に起きた。座談会参加者や関係者が改めて自己紹介し合ったり、立ち話を始めた時のこと、不登校経験者の一人Aさんが私に歩み寄り、以前、被害に遭ったことがトラウマとなって未だに学校に行くことができないでいることを打ち明け、トラウマを克服する方法を教えてほしい、と言うのである。
 そのような重い話題に立ち話で簡単に応えられるものではないし、そもそも私の専門は「生活空間記号学」に述べているように、住まいや住まい方を通して不登校のうちの登校拒否の病理を解明し、矯正を図るというものであって、トラウマの克服を対象とした精神病理学ではない。かと言って助言者としての役を果たさないわけにはいかず、たまたま座談会で参考になるかもしれないと思って用意してきた拙稿「家族関係修復のセミオシスー発達記号論ケース・スタディ」のコピーを咄嗟に手渡して、とりあえず読んでもらうことにした。Aさんは高校2年ということなので、記号論は理解できなくとも、大体の筋は読み取れるのではないかと考えた。それから先どうするかは後で考えることにして、とりあえず連絡先として携帯番号を交換してその場は別れた。
 私はこれまで登校拒否児に直接関わることはほとんどなく、保護者としか関わってこなかった。それは登校拒否児の年齢が低かったこともあるが、環境改善の鍵は保護者にあるのが普通だからでもある。しかし考えてみれば登校拒否の病理には大なり小なりトラウマが絡んでいると考えれば、これまでの私のアプローチと特に大きな違いはないものと考えて良いのではないかと考えた。しかし困ったことに私はAさんの親を知らず、住まいも住まい方も知らない。しかし依頼人はAさん自身であるから、当面、Aさんを通してアプローチを進めてみることにした。
 Aさんと連絡を始めてみてすぐに突き当たったのは連絡手段だった。携帯の番号は教えられていたのだが電話での相談は苦手だからと断られたのだ。相談に長文のやり取りが予想されたのでEメールのアドレスを求めたがそれも断られ、結局Aさんとの連絡手段はショートメールに限られてしまったのだ。論文のコピーや伝えたいことを文書にして郵送しようにも住所も教えてもらえなかった。要するにそれが電車に乗るのも怖いというAさんの引きこもりの在り方だったのである。
 さて、座談会の後に手渡した拙稿は、私が提案する前に、すでに両親にも読んでもらえていた。表題にある「セミオシス」とは、「ある記号が、人の思考行動により、新しく別の記号を次々と生み出していく記号のプロセスを指す用語で、記号過程とか、記号連鎖などと訳される用語です」とだけ伝え、理解できない用語や理論があってもあまりとらわれないようにとだけ伝えたのだが、住まいが登校拒否に関係するということに驚かれたということで、拙稿による両親への働きかけは、まずは成功裡に終わらせることができ、幸運だった。
 Aさんは小さい頃から登校拒否気味だったそうで、それが中学生の時の被害で決定的になり、それを忘れるためにも心機一転、両親はAさんと共に、当時同居していた親族と別居したということだった。しかし父親がその別居によって問題はすでに解決したと考えていることがAさんは不満だと漏らしていたので、Aさんにとっても両親にとってもその別居は決して間違いではなかったことを拙稿が伝えることができたと私は判断した。「家族関係修復のセミオシスー発達記号論ケース・スタディ」は所謂「仕込み」としての機能を充分果たしたものといえる。
 そして私はその別居が1年ほど以前のことだと知り、住まい(方)の変化が功を奏するのは3〜4ヶ月ほどしてからであることが経験的に分かっていることをAさんに伝え、1年も経つのに効き目が表れないのは少し遅いと思われると伝えた。このことはのちになって考えると、Aさんの背中を押す働きをしたかもしれないと考えられた。
 これに類する働きをしたことが実はもう一つある。それは座談会の中で私が述べた、登校拒否は、なぜ自分が学校に行くことができないかという原因が分かれば半分解決したようなものだ、という発言である。Aさんの場合、明確な被害体験が原因であると自覚しているのである。
 転居と明確な原因、あとは自分自身がどう折り合いをつけるかだけということになる。そこに働きかけるものとして私が用意したのが呼吸法だった。ベースは西野流呼吸法、特にその足芯呼吸である。残念ながらAさんは私が住んでいる静岡市から離れた自治体に住んでいるので、簡単に直接会って呼吸法を教えてあげることができない。ショートメールで要領を書き送るしかなかった。後は鼻呼吸、口から吸わない、吐くのは口から、力まずに体を緩める、といったポイントを書き送ることにした。
 ところが困ったことに、Aさんは鼻中隔に問題があって肝心な鼻呼吸ができないのだという。手術すれば改善するけれど体の成長が止まってからでないと手術はできないのだそうだ。しかしAさんはバレーと歌を習っていて、口から息を吐くことの大切さ、体を緩めることの大切さは常々言われているということで、呼吸法が全て受け入れられなかったわけではなかったことは幸いであった。そこで呼吸に関しては鼻呼吸にこだわらず、氣の呼吸法、氣を体の中を流す方法などを伝えた。そして大事なことは口から息を吐くことで体を緩めることであることを伝えたが、Aさんがこれらの何をチョイスしてくれたかは確認していないが、肝心なことは歌とバレーの習い事が後押ししてくれることに期待することにした。
 私は座談会の後、Aさんと直接会う機会が2度あった。1回目は前述の座談会でやったことを、同じくココミュラ+の企画で今度は公開の場で行なった時、2回目はやはりココミュラ+の企画で映画「屋根の上に吹く風は」の映画会である。この時、私はAさんの母親にも会っている。1度目の時に私はAさんに西野皓三先生が書かれた西野流呼吸法の本『生きるパワー 西野流呼吸法ー七つの法則』(ちくま文庫2003)を手渡した。呼吸の大切さを読み取ってもらいたかったからであるが、そこには父親に連れられて西野塾に通ってきた、いじめられっ子だった中学生の登校拒否の女の子が、西野流呼吸法を半年ほどでマスターしたらいじめられなくなり、学校に行けるようになったどころかクラスの人気者になってしまった事例が紹介されていたのであるが、はからずも西野皓三先生がバレーの出身であったことに、バレーを習っているAさんは感じ入っていたのである。このことは、呼吸の大切さとはまた別に、Aさんの自己肯定感に強く働きかけたであろうと思われる。
 2回目の映画会は鳥取県八頭郡智頭町にあるフリースクール「新田サドベリースクール」のドキュメンタリーであるが、この映画の中に極めて暗示的なシーンがあった。それはこのフリースクールに通う子どもたちが、学校の屋根の上から飛び降りる遊びをし始めるシーンである。あのシーンを見た登校拒否の子どもたちの中には「自分も飛び降りていいのだ」というメッセージを漠然と感じた子がいたに違いない。Aさんもその一人だったことを期待したのである。この映画はAさんにとても良い刺激になったと考えられた。
 しかし私も映画に頼っていたばかりではない。Aさんのトラウマ克服の参考になりそうな私自身の体験のエピソードを思いつくままにショートメールに一生懸命打ち込んで伝える苦労を惜しまなかった。エディプスコンプレックスにつながる私自身の体験、私自身癌を宣告されたショックと死の恐怖から抜け出たプロセスなどである。
 私の体に異常が発見されたのは1999年の暮れのことだった。ミレニアム(・イヤー)を目前にして世界中が浮かれていた時、私は一人意気消沈し、そして翌1月4日に最悪の検査結果を知らされた。2ヶ月後に左腎摘出の手術を受けたのだが、それから1年の間、自分が癌だったことを人に言うことができなかった。別に隠したのではなく、ショックで言えなかったのである。ところが1年経って転移もなく生きていることが分かると、今度は自分が癌だったことを人に言いたくてたまらなくなったのである。人の関心を引こうなどということではなく、単純にショックの裏返しだったような気がする。そしてそんな気持ちを抑えることに苦労し、ようやく普通の状態に戻るのに、結局術後丸3年かかったのである。身体障害者が受障後そのことを受け入れるのに段階を経て何年かかかるのと同じように、というコメントとともにこのことをAさんに伝えたのである。
 トラウマを乗り越えるには相応の年月がかかるから焦らないようにというつもりで私は自分の病気の経緯を話したのだが、驚いたことにAさんも全く同じで、被害を受けてからそのことを人には言えず、1年経った頃、今度はそのことを人に言いたくてたまらなくなり、それが丁度1年前のことで、今は普通に過ごしていられますということであった。これには私も驚き、私の経験談が「それでいいんだよ」というメッセージになったことを確信することができたのである。
 そして私がAさんに会ってから3ヶ月、「もう屋根から飛び降りているのかもしれません。お陰様でとても元気になり、学校にも通えるようになって自分でも驚いています。はい、がんばりすぎないように、自分の気持ちと向き合い、前へ進んでいきたいと思います。」とのショートメールを私はAさんから受け取ったのである。
 このメールで私はAさんが記号学的な思考方法も学び取ってくれていることを感じ取っている。私は、セミオシスとは、記号を介した情報伝達のプロセスのことだとの説明をしたときに次のような説明を付け加えていた。「そもそも記号とは、それとは別の何かについての情報を伝える手段のことです。<+> はその両側にある数字を足すのですよという情報を伝えてくれます。地図に記された<卍>はそこにお寺があるという情報を伝えてくれます。こうした数学記号や地図記号以外にも、ふつう記号とは呼ばないものでも、それとは別の何かについての情報を伝えてくれるものはいっぱいあります。記号学という学問は、そういうものを皆記号と呼ぶのです。実際、私たちは実に様々なモノやことを記号として使ってコミュニケーションしたり、泣いたり笑ったり、楽しんだり喜んだり、考えたり 反省したりしているのです。そういう記号を介したプロセスをセミオシスといい、セミオシスによってトラウマを抱えたり、それを乗り越えたりもするのです。」
 この、Aさんのケースで、私は結局Aさんの住まいに訪れることは無く、親とはこの問題で直接関わることもなく、Aさんとの直接の関わりに終始したこと、そして文字通りAさんのトラウマ克服という課題と直接向き合ったことなど、これまでのケースでは経験したことのない経験をさせてもらい、なおかつ好結果を導き出すことができたという点で、私にとってとても勉強になったケースであった。また、医学会でも、記号学会でも、ケース・スタディーという手法が科学的な手続きとして必ずしも認められているわけではないように感じていたので、この論考がそれを改める根拠の一助になればとの思いもあって詳述した。
 なお、私は不登校と登校拒否を明確に区別している。登校拒否はあくまでも本人が学校に行きたい、行かなければと思っているのに、自身の内面のトラブルから行くことができない精神的な病理を指しているが、不登校はそれ以外のケースも広く含む用語として区別している。[2023.1.17.記]
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生活空間記号学

 私のパソコンの中に「生活空間記号学」と題した論考が眠っていが、ここに、その内容を公開することにした。
 この論考は静岡大学教育学部の消費生活科学専攻および生涯学習専攻の専門科目(選択)として開講されていた「生活行動論」のテキストとして使えることを念頭に書いたものである。土台はかつて私が非常勤講師として講義を重ねた武蔵野美術大学基礎デザイン学科の「記号論II」、あるいは武蔵工業大学工学部建築学科の大学院で講じた「建築計画学」の講義ノートである。内容は記号学で、私が研究してきた建築記号学、ひいては家族空間記号学がその中心をなしている。記号学が消費生活や学習の行動理解と理論構築の道具となることを期待して著した。また、記号学を学ぼうとする上記専攻の学生はもとより、建築やデザイン分野の若い研究者にとっても記号学についての易しい入門書となるように心掛けた。
 しかし記号学は静岡大学大学院(教育学研究科)の「住居学特論」や「住居学演習」にも使うため、それにも耐えられるような専門性を維持している。したがって、必要に応じて適宜難易に応じてえり分けて学んでもらう必要があろうと思われる内容である。その目次構成は以下の通りである。
 [章ごとにクリックして、その内容を見ることが出来るようにした。]


1.記号について

2.記号とは何か
  2-1.かつて記号は「しるし」といわれていた
    表れとしての「しるし」
    効き目としての「しるし(験)」
    「しるし」は知るための手段
    役に立つことが生きてゆくしるし
  2-2.記号学はしるしをどうとらえるのか
    パースの定義
    記号とその対象の関係
    記号の解釈志向
  2-3.しるしと記号
    アウグスティヌスの記号分類

3.しるしから記号へ−記号化の歴史
  3-1.永平寺の記号
  3-2.志留之(しるし)
  3-3.今日に生きている「しるし」
    「ほんのおしるしです。」
    記号のはたらき
  3-4.記号過程(セミオシス)
    絶えることのないプロセス
    記号過程のモデュール

4.カテゴリー
  4-1.パースのカテゴリー
    カントのカテゴリーに対する疑い
    新しいカテゴリー表
  4-2.セミオシスの展開
    さらに詳しいセミオシスへ
    セミオシスの実例
  4-3.パースの記号分類
    記号の10分類
    記号の実例
    記号の66分類
  4-4.ソシュールとパース
  4-5.オグデンとリチャーズ、とパース
  4-6.科学の方法としての記号学−アリストテレスとパース

5.いろいろな記号
  5-1.記号の類型
    符号・合図・信号・標識
    アイコン
    象徴・ことば・名前
  5-2.建築は記号か
    記号は情報の媒体である
    代理の記号

6.家族空間のセミオシス
  6-1.消費記号としての個室
    ユニバーサルスペースとしての「何畳間」
    商品としての子ども部屋
    個室を与えることと子育ての解離
    対象を覆い隠す記号の機能
  6-2.登校拒否児の住生活におけるセミオシス
    メッセージの媒体としての住まい方
    記号の対象の実在性
  6-3.家族空間密度
  6-4.意図せぬかくれたコミュニケ−ション

7.テリトリーとしての家族空間
  7-1.セミオシスとしてのテリトリー行動
    テリトリー形成能力
    健全なテリトリー行動
  7-2.テリトリー形成能力の発達
    人間のテリトリー行動の研究の浅い歴史
    子どもの空間認知能力
    新たなテリトリー形成
    乳幼児のテリトリー形成能力
    学齢期からのテリトリー形成
  7-3.登校拒否解消の処方せんとしてのセミオシス
    登校拒否から不登校へ
  7-4.住空間の錯綜するセミオシス

8.失われたセミオシスの回復―記号学の可能性
  8-1.17歳問題
  8-2.「普通の子」
  8-3.透明な存在
  8-4.なぜ?
  8-5.世代による子育ての問題性
  8-6.異常性のさまざまな記号
  8-7.いじめと癒し
  8-8.セミオシスの新しい機能
  8-9.建築空間の提案に向けたセミオシスの応用

9.建築記号学の展開
  9-1.建築言語学の系譜
    ヨーロッパにおける建築と言語のアナロジーの伝統
    記号としての様式
  9-2.建築記号学の始まり
    建築の記号的機能
    記号としての建築の美学における理論付け
  9-3.建築記号学の展開
    記号内容としての建築の実用的機能
    Firstnessとしての建築的機能
  9-4.デザイン記号学の諸相
  9-5.セミオシスのレベル

10.記号学について
  10-1.記号学の歴史(欧米)
  10-2.記号学の歴史(日本)
  10-3.記号学の体系
    記号学と記号論
  10-4.なぜ記号学か
  10-5.パース記号学のガイド

[2022.03.11.記]
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二つの違和感

 2020年11月14日(土)〜15日(日)日本記号学会の第40回京都大会に参加しました(於・京都大学稲盛財団記念館)。テーマは「記号・機械・発酵<生命を問い直す>」。セッションが3つ用意され、セッション1は「生命と記号論」(室井尚/横浜国立大学)、セッション2は「機械生命論」(児玉幸子/メディアアーティスト/電気通信大学・三原聡一郎/アーティスト)、セッション3は「分解と発酵の記号論」(藤原辰史/京都大学・増田展大/九州大学)。これらのセッションをふまえ、最後に全体討論が行われたのですが、そこで2つの違和感をずっと感じていました。
 その1つは「勝ち負け論」です。それはどうやら記号学会は1994年に「記号学研究14<生命の記号論>」、2002年の「記号論の逆襲」では生命記号論の特集を組んでいるし、2005年には「流体生命論」と、早くから生命現象を取り上げて来たけれど、結局それはシステム論に取り込まれてしまったということを指しているようでした。
 しかし何をもって勝ったのだの負けたのだのと言っているのかが私にはよく判らなかったのです。まして何故そんなに勝ち負けにこだわるのかが分からなかったのです。何か聞き漏らしたのかと思って耳をそばだてていたけれどもやはり分からない。全体討論の最後になって、フロアーから「なぜ勝ち負けを言うのか、勝ち負けではない枠組みで論じることはできないのか」という質問が飛び出して、やはりおかしいと思っている人が居たのだと分かって安心しました。安心したけど何故なのかは相変わらず分からずじまいでした。帰りの新幹線の中で反芻してようやく分かったのは、これは生き方の問題なのかもしれないということでした。
 私は自分が打ち立てた理論が社会に受け入れられなかったからといって負けたと思ったことはありません。私の理論を社会が理解できないのだ、あるいはまだ必要だと気がついていないのだと思っていたからです。これは新しい理論構築に携わる人の生き方、価値観の問題でしょう。そう考えて吉岡さんが室井さんのことをロマンティストと言ったことも、室井さんがそれに反発したのもようやく腑に落ちたことでした。
 しかし勝ち負け論に陥るもう1つ別の問題があるように思います。それはシステムの問題です。勝ち負けをいう前提になっているシステム観が余りにもリジッドなのがとても気になっていたのです。これが私が抱いたもう1つの違和感です。
 たとえば私が考えている建築(住まい)のシステムはオープンシステムです。人はどこに住んでいるのか問われて、建物に住んでいると答える人はいないでしょう。私の場合、静岡と答える。海外で同じ質問されれば多分日本だと答えるでしょう。つまり私の住まいは静岡であり、日本であり、地球であり、銀河系なのです。決して住宅に閉ざされているのではありません。そのようなシステムはセミオシスとも生命とも良く馴染むのです。
 そのようなシステムを前提にしていれば、記号論がシステム論に取り込まれたと考える必要は全くないでしょう。取り込まれたのではなく、むしろ記号論がシステム論を変えたのだというべきでしょう。どうしても勝ち負けで言いたければ、むしろ記号論が勝ったと言って良いのです。しかしそう言ったところであまり生産性はないように思えるのですがいかがでしょうか。[2020.11.16.記]
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「気づきのテキスト」

 日本記号学会第33回大会に発表した研究の論報が記号学会誌に掲載の運びとなっているのですが、刊行が遅れていて、今年の10月以降になりそうな状況です。そうこうしている間に私の思考が進み、学会誌に掲載予定の論報の骨子を、実用的な形態にしたものの構想が生まれました。
 それは、登校拒否や引きこもりなどの心の健康に関わる問題の所在を突き止める手がかりを、12枚のスライド(あるいはパネル)にまとめたものです。これを当事者が見て、自分に該当する原因を探ることを通して、自ら問題解決する(トンネルを抜け出す)手だてを見つける支援となることを目指しているものです。最近、ようやく一応のまとまりを見たので、試しに身近なケースに利用しはじめたところです。
[2014.07.25.記]
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老親介護と認知症

 年配の女性数名と飲む機会があった。いつしか話題は認知症の親を抱えた老親介護の苦労話になった。私自身がそういう苦労を強いられたのは、思い返してみると、かれこれ30年も前のことである。介護保険はもとより、いわゆるゴールドプラン(高齢者保健福祉推進10カ年戦略/1989)よりもさらに何年か以前のことだから、ショートステイやデイサービスはもとより、ホームヘルパーなどというのもなかった。介護の手が足りなければ家政婦を雇うことしか手はなかった。ずいぶん後になって介護についての知識が入るようになってから、ああもしてやれば良かった、こんなこともしてやれば良かったと思うことがあったことである。
 そんなことを思い出しながら目の前にいる女性たちが親の認知症に手を焼いている話を聞き、自分の親がボケなかった(当時はまだ「認知症」ということばは通用していなかった)のは幸いであったことに思いを馳せた。私の両親は共に70代半ばと、比較的若いうちに亡くなったこともあるのかもしれないし、認知症になるならないは、人それぞれ差があることであろうから一概に言うことはできないが、女性たちの苦労話を聞いているうちに、認知症のある部分は作られるものである可能性があるような気がしてきたのである。
 ゴールドプランが変更を余儀なくされ、2000年に介護保険が実施されるまでの間のこと、半ば在宅の寝たきり老人の住生活調査という私自身の研究のため、半ばある地方自治体の要請もあり、地域の民生委員の案内で、寝たきり老人のいる家庭を自治体の担当者とともに訪問調査をして回ったことがある。ある老々介護の高齢者のみ世帯でのことである。寝たきりの夫は、妻に言わせると、元一流大企業の優秀なエンジニアだった人で、この夫を介護していた妻は、彼のことを自慢の夫と思って生きてきた元教師で民生委員も務めたことのある人だった。  はじめのうちは私たちに懐疑的なまなざしで接していた妻に、通風の確保など住まい方に関するさまざまな改善の余地を話しかけているうちに打ち解けてきたのか、突然堰を切ったように介護の大変さ、というより理不尽さを訴え始めたのである。その内容はざっと以下のようなものであった。
 優秀な人だった夫は私の自慢であった。しかし私にも教師という大事な仕事があったから夫の面倒は一切見たことがない。でも、夫は優秀な人だったから何にも文句もいわず、1人で自分の身の回りのこと一切をこなしてきた。そのこともまた妻にとっては自慢の種だった。言ってみれば妻の社会的な生活を夫の出世の犠牲になどしない、民主的な夫、といったところであろうか。ところがその自慢の夫は今やこの有り様。おむつをしなければならないし、それでも汚してしまう。うっかりしていると縛っている紐を引っ張っておむつをはずしてしまうのだという。何度言ってやっても同じことの繰り返しに腹が立ち、時に夫をひっぱたかずにいられないのですと、最後は涙ながらの訴えとなったのである。
 私はこの話を聞きながら、ああ、この夫は自分が大変なときに何一つ面倒見てくれなかった妻に対し、今、それをこうして取り戻そうとしているのだと思った。そこで私は言いにくいことだがそのことを話し、あなたが自分の仕事にかまけて夫の面倒を見てやらなかったことを詫び、今こそ心満たされるまで世話をしてあげましょうという気持になれば、きっとご主人は今より素直になってあなたに余計な手間をかけさせなくなるに違いありませんから、今しばらくがんばってお世話してあげてくださいと、諄々と言い聞かせたのである。知的な意識レベルの高いご婦人のことだからどこまで私の言うことを聞いてくれるか分からなかったが、なるほどそういうことであったかと、思いのほか良く聞き分けてくれ、私たちの訪問に対して涙を流して感謝してくれたのである。
 後日、どこまで実践してもらえているか、その効果の程の確認をする間もなく夫はあっけなく他界し、妻は介護の苦労から解放されたとのことであった。それを聞いて私はあのご婦人はほんとに私の言うことを聞き入れてくれたのだ、だからあの夫は妻を許してあげたのだと確信したのである。妻がひっぱたいて言うことを聞かせようとする限り、世話を焼かせてやる、というと聞こえは悪いし品が無くなるが、温かい妻の介護を受けて彼は心から満足し、ようやく生を終わらせることに納得できたのだと思う。おそらく穏やかで、安らかな死であったであろう。
 許せないと思う心は、相手の心をかたくなにするものである。私は家族関係の葛藤がもとで20代の半ばにして既に父を見限った。以来、私は父に何も期待をしなかったから、晩年、父がどんなに老いさらばえても情けないなどとは一切思うことなく、だめになった父をそのまま受け入れた。母の方が先に亡くなったのであるが、母はそんな父の、ある意味、犠牲者でもあったから、父に対するとは全く別の意味で私は頼りなくなった晩年の母をそのまま受け入れた。そしてどんなになっても一切叱ることなどせずに受け入れ、無条件に(先に述べた通り、今にして思えば不十分ではあったが)介護した。そのことが、私の両親が晩年認知症で私たちを手こずらせることがなかった最大の理由だったのではないかと思う。
 私はあるがままの相手を受け入れようとしない拒否的な心が、相手の認知症を引き起こすことがあるのではないかと思うようになっている。それは認知症と言うより、意地を張ったり、我がままを言っているのに近いのかもしれない。家族関係の力動の中での老齢による歯止めの解除がもたらす家族間の摩擦が認知症として受け取られている場合がないとは言い切れまい。こういった症状は心の持ち方一つで解消できる余地があることを知っておくことは、家庭内に限らず、施設介護においても意味があると考えられるのである。
 これは年齢的には全く対照的な例であるが、保育士が預かっている乳幼児を前にして、職員同士でそのこの母親を悪く言うと、その子の機嫌が悪くなり、逆にその子の母親のことを良く言うと、その子がいい子になるのだそうである。ことばは生命エネルギーの源でもある。氣のエネルギーと言っても良いし、波動あるいは情報と言っても良い。そんなものは非科学的だと言って毛嫌いする向きもあるが、存在自体を否定することはできないのである。そしてその存在を認めるところから認知症の改善の余地が現われてくるのである。[2013.08.10.記]
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日本記号学会第33回大会発表記−発表の成果−

 2013年5月19日(日)、京都精華大学で行われた日本記号学会第33回大会で研究発表をしました。標題は「引きこもり対策としての家族関係修復のセミオシス」。内容は、厚生労働省による『「ひきこもり」対応ガイドライン』にも明記されている、“援助にあたっては、「なぜ、ひきこもってしまったか」と原因をつきとめようとするよりも、「今の膠着状態を変えるために、どのような工夫が必要か」ということを優先して関わりをはじめるほうが、より安全で確実なありかたであると思われます。”というラインにそむき、原因追及をてこにして親にアプローチし、親の意識変革を記号として家族関係の修復を図り、それにより、その最終的な解釈志向として引きこもりの解消を目指すセミオシスの提示でした。原因が分からなければどうすれば良いか分かるわけがないと考えるからであります。
 会場から、パソコンに引きこもってしまっているような場合についてはどうかとの質問がありました。確かに秋葉原での無差別殺人事件を起こした加藤智大のように、今や引きこもりは家や個室への引きこもりだけではなく、ネットシステムへの引きこもりが社会問題になりつつあるわけです。正直に言って、私が手がけているケースにはそういう事例がなかったので、この点については充分な準備がしてありませんでした。貴重な課題をいただくことになり、やはり発表してみることの大切さを感じました。ありがたいことです。
 もう一つ会場から質問がありました。質問者は中学生時代に登校拒否を経験していたという大学の学部生でした。しかも彼は私の発表のあとに私に話しかけてきてくれて、私が提案したセミオシスを指して、まさにその通りで、引きこもりの相談窓口の担当者に示してやってほしい、とまで言いました。あとで気がついたことですが、厚生労働省のガイドラインには、「精神保健福祉センター・保健所・市町村でどのように対応するか・援助するか」というサブタイトルがついているのです。
 私は個々のケースについてケーススタディーを重ねています。だから親に対して原因追及をベースにアプローチすることも可能なのですが、公的な相談窓口でそれが果たしてできるかというと、やはり「ガイドライン」に沿った対応しかできないのかもしれません。しかしこの点についても検討の余地があり、私が提案するセミオシスをふまえた相談窓口の対応のありかたというのも考えてみる価値はありそうです。これもまた別の、私が考えても見なかった新たな課題をいただくことになりました。
 以上が発表の成果でした。[2013.06.21.記]TOPへ戻る


今、キミに気づいてほしいこと

 最近、わたしは貴重な体験をしました。引きこもりをテーマにした、とある研究会の例会でのことです。一通り報告者からの話があったところで、ある参会者による「引きこもりは昔からあったのか」という質問に対する当日の報告者の答えを補う形で、引きこもりという言葉が使われるようになった歴史的経緯を私が話しました。引きこもり対策を考える上でそれはとても大事なことであると、私は考えているからでもありました。その後、公的な引きこもり対策のプログラムについての質問が別の参会者からあり、市が行なっているプログラムの紹介を報告者がしました。そこで私が、国がやっているプログラムを紹介し、そのプログラムを鬱で引きこもっていた青年に実際に利用したところ、復帰した職場で同僚に「仕事が遅い」と言われてぶち壊しになってしまった事例を話しました。ところが、ある参会者が「そんな事例を聴く必要はない。どうすればいいかを言うべきだ。」というので、「どうすれば良いかを考えるためにこの研究会をやっているのだ」と答えると、「そんなことではない。そういう場合に静岡大学にいる立場で具体的にどうすれば良いかを言うべきだ」と詰問するのです。わたしはその参会者が何を求めているのか理解できず、さりとて、名誉教授というのは文字通り名前だけのことで、大学に研究室どころか籍もメールアドレスさえないのですと、うそぶくつもりもなく、「だから研究会を……」と繰り返したところ、その参会者は「先程の経緯の話にしても、その程度のことはここに集まっている人のインテリジェンスからすれば皆知っていることで、今さら聞かされる必要はない。職場の同僚のことばでぶちこわしになった話なんか聞く必要はなくて、どうすればいいのか具体的な対策を聞きたいのだ。職場の同僚の協力を得られるように予め頼んでおくといったことは考えられなかったのか」と言うのです。このケースについては、わたし自身そこから先どうすべきかを考えあぐねているところで、もとより同僚の協力を予め得ておくことが出来るようなケースではありません。私が報告者でもないのに長々とその説明に時間をとることは控えたかったこともあり、「私は神ではないからそんなコントロールはできませんよ。あなたがそういうアイディアを思いついたというのなら、それはそれでいいのではないですか。」と受け流してしまいました。……とまぁ、こんなやりとりがあったのです。
 正直言ってなぜ私の発言が非難され、彼から詰問されなければならないのか全く理解できませんでした。未だに理解できずにいます。私が話した歴史的経緯が分かっている人であれば、引きこもりが昔からあったのかなどという質問をするはずはないのです。ですから歴史的経緯を補足した私の判断のどこが間違っていたのか、私には全く分かりません。私のインテリジェンスが狂っていると宣告されたも同然なので、私自身が思考の迷路に陥ったような感覚に襲われたのでした。また引きこもり対策のプログラムの質問があったと私が思ったことも間違いだったのか、あるいはいつの間にその日の報告者を差し置いて、私がそういう場合にはどうすれば良いかの具体的な対策を提供しなければならない場にすり替わっていたのかと、私は一瞬タイムワープしてしまったかのような幻覚に陥ったのです。
 一体この男は何を要求しているのか、なぜそんな言い方をしたのか、未だに私には分かりません。彼はハウツーアイディアを求めていたのかもしれません。もしそうだとすれば、この問題をそんなアイディアで安直にけりを付けることができるハウツー問題と考えている彼のインテリジェンスにかえってあきれてしまいます。それにしても言い方というものがあります。自分の安直なインテリジェンスは棚に上げ、失礼でごう慢なもの言いの許される訳がわかりません。
 イヤな予感はありました。私の向かい側に彼が座ったとき、これまで見たこともない恐い顔を彼がしていたのです。どうかしてしまったのだろうかと不審に思いましたが、会が始まると忘れてしまいました。こどもの居場所を提供するNPOをやっている彼は、ことによると追いつめられているのかもしれない、と後で思いました。でも、だからといって許されるもの言いではないし、ハウツー問題にすり替えて良いということにはなりません。また、そんな傲慢な顔を潜ませて子どもの居場所の提供をする活動を続けてきたというのもおかしなことです。
 私は彼から受けた侮辱、不愉快な思いをどう受け止めればいいのか、どう対処し、気持の上でどう折り合いをつければ良いのか、思いあぐねてしまいました。そして私は鬱になりました。研究会に出て行く気も失くしてしまいました。あー、人はこうして鬱になるんだな、人はこうして引きこもりになるんだな、と思いました。貴重な経験とはこのことです。彼の非難と詰問は私の生命エネルギーを際限なく低下させたのです。幸い私は生命エネルギーを自分で充足させる方法を身に付けているので、鬱状態には陥りましたがうつ病にはなりませんし、引きこもりにはならないつもりです。しかしその研究会には二度と足を運ぶことはないと思います。私もこの歳(70歳)になって不愉快な思いをさせられるところにわざわざ身を置くことはごめんこうむりたいと思うからです。
 そんなことをするより、私はこの経験を発達記号論に反映していくことの方がはるかに生産的だと考えています。鬱、そして引きこもり、それは人為的な生命エネルギーの搾取によって起こる現象であるということを、身をもって理解することができました。したがってそこからの脱出には、そこに陥っている人に対して生命エネルギーを注入してあげれば良いことになります。問題はどうやって?ということになりますが、これはケースバイケース。何がその人にとって生命エネルギーの注入になるのかを見きわめることが必須であり、出発点です。それをこれから考えていくつもりです。ただ、この研究会がそのための場にはなり得なくなってしまったことは残念です。だからといって、この研究会をそれができる場に導いていく気力が私にはありません。老いを感じさせられた経験でもありました。
 以来、大学で非常勤職の講義をしながら、「ひょっとすると、オレは古くさい時代遅れの内容の講義をしているのかもしれない。」と、ふと思う時があるようになってしまいました。これまでにはなかったことです。そう思っていると、エキサイトニュースに“結論から書けはもう古い、ネットの文章は「釣結逃」で書け”という記事が目に入りました。何のことかと思ったら、作文法として起承転結は昔のこと、転は要らない「起承結」で良いとかつて言われたこともあったが、“結論から書け”と言われて20年になる。しかし今や、まず釣りことばを投げかけた上で結論を書き、後は逃げを打つのがネットの作文法、それが「釣結逃」だというのです。「結論から書け」はおろか、「起承結」さえ知らなかった私は驚愕のあまり、考え込んでしまいました。ことはネットの文章ではありますが、そういう文章に慣れた現代人にとって、まず結論を言わない話は「聞いてらんねえ」のかもしれません。そう思うと、歴史的経緯なんてのはもとより、職場の同僚の一言で頓挫した成り行きなんざァ「どーでもええこった」のかもしれない、と思い至り、一体、昨今の卒論指導はどうやっているのか、大学の講義を聴く学生の耳の構造はどうなっているのかと、にわかに不安になってきた次第です。
 典型的な老人性鬱ってやつですよ、と言われるかもしれない。引退の時期ってことですよ、と言われるだけのことなのかもしれません。でも、今、キミに気づいてほしいのだ。何がきっかけで私がそうなってしまったのかに。[2012.07.09.記]TOPへ戻る



新聞女と発達記号論−日本記号学会第32回大会参加記−

 2012年5月12(土)〜13日(日)に六甲アイランドにある神戸ファッション美術館で開催された日本記号学会第32回大会に参加してきました。今大会のテーマは「着る、纏う、装う/脱ぐ」でした。大会で企画されたパフォーマンスに「新聞女」の西沢みゆきさんが招かれていたので西沢さんと会うことができ、わたしが考えている発達記号論に関係するとても興味深い情報を得ることができました。
 新聞女というのは、膨大な量の古新聞を貼り合わせてつくった壮大なかたまりのドレスを着るというもので、見ていてあっけにとられる迫力でした。発達記号論との関係は、そのパフォーマンス自体ではなく、西沢さんにとっての新聞女というパフォーマンスの意味というか、なぜそんな突拍子もないことをやることになったのかという、経緯にあったのです。彼女の小学生時代は父親の暴力のために死ぬことしか考えていなかったのだそうで、嶋本昭三というアーティスト(この人のこともわたしは知らなかったのですが)に出会い、その下でやるようになった新聞でドレスをつくって着るというパフォーマンスが見る人を驚かせ、面白いと思ってくれることから、ようやく自分も生きていていいんだと思えるようになったという、まだ若いながら、大変な人生を歩んできた人だったのです。
 これはまさに気づきの好例です。彼女自身、家を出ることで変わることができたので、住まい方を変えると学校に行けるようになる登校拒否児のことを話したら、よく分かると言っていました。しかし彼女に会ったあと、彼女の「サクセスストーリー」を反芻するうちに重大なことに気付いたような気がしました。それは環境が変わることで自分が変わることができたということは、もともとそういう環境に応じて変わることができる記号過程的な思考行動の持ち主だったからではないか、父親による虐待に死ぬことを考えたということが、そもそも彼女が記号過程的な思考行動の持ち主だった何よりの証拠と言えるのではないのかということです。
 つまり、もともと記号論的に思考し、行動することを知っている人が記号論的に思考し、行動することに気付くことは、環境あるいはテリトリーが変わることが刺激となって引き起こされやすいが、もともと記号論的な言動回路ができていない人には、気づきは相当難しいことかもしれません。登校拒否児が何らかの環境因により学校に行けなくなるというのは、それ自体記号過程的行動であり、それだからこそ、その環境因を取り除いてやれば学校に行けるようになるのだと言えるのかもしれません。
 また、ネットに紹介されている新聞女のパフォーマンスをよく見てみると、それは相当なエネルギーを要することだということが分かります。西沢さんはかなりエネルギッシュな人なんですね。生きることへの転換には、このエネルギーの大きさも無視するわけにはいかないのかもしれません。You Tubeを使ったカミングアウトの運動「it gets better, I promise! きっとよくなる、約束するよ!」や、レディー・ガガの曲『Born this way』に「自分が自分のままでいいってことを教えられ」勇気づけられながらも、同性愛者を疑われ、それを理由にいじめられ、自殺を余儀なくされたジェイミー・ローディンマイヤー少年のことが思い浮かびます。
 気付くこと、そして行動することの難しさを考えさせられます。[2012.05.21.記]TOPへ戻る



インディゴ・チルドレンとwin-winモデル

 新しい時代のメッセンジャーとして1970年代から増えつづけている新しいタイプの子どもたちのことをインディゴ・チルドレンと呼ぶ人達がいることを知りました。アメリカの心理学者ナンシー・アン・タッペによる命名なのだそうですが、「生命の色」がインディゴ色をしていることからそう呼ばれるのだそうです。そういう子どもは自分の感情や情熱を内側にしまうことができないために、自分の気持をごまかし、何事もないかのように振る舞うことができず、したがって家庭や学校、職場での不必要なこと、無意味だと思うことには興味を示さない。だから情緒の安定した、安全な大人がそばにいることが必要なのだそうです。さもないと理解されないいらだちを爆発的な形で表現したり、逆に内側に閉じこもってしまうこともある。そのためにLD(学習障害)、ADD(注意欠陥障害)やADHD(注意欠陥多動性障害)、アスペルガー症候群などと診断される場合もあるということです。さらに年代が下るにつれ、「生命の色」も変化し、クリスタル・チルドレン、レインボー・チルドレンと呼ぶ子どもたちが生まれ育っているということです。
 かつて新人類という呼称があったことを思い出します。また、LDやADD、ADHDなどを違った角度から掬いとろうとする考え方のようにも思えます。残念ながらわたしは「生命の色」を見ることができないし、「生命の色」の解釈もできないため、精神疾患とは別の子どもたちなのか、わたしには判断がつきませんが、これもまた最近使われ始めたwin-winの関係を実現する手段と見なせば、それなりの有効性を見出すことができるのかもしれません。どういうことかを次に考えてみましょう。
 Win-winの関係とは、スティーブン・R・コヴィーという人の考え方によるものなのだそうで、自分も相手も勝つ、つまり双方に利益がある関係です。したがってそのほかにパターンとしてはwin-lose=自分は勝って、相手は負ける;lose-win=自分は負けて、相手は勝つ;lose-lose=自分も負けて、相手も負ける、があります。これは主にビジネス用語として広まっているようですが、家族の人間関係にもそっくり当てはまります。例えばウソをついた子どもを親が叱れば叱るほど、子どもはウソつきの烙印を強く押され、相対的に親は親としての役目を果たし、良い親を演じることになるというパターンは、親の側からすればwin-loseということになります。しかし子どもがなぜウソをついてしまったかを思いやり、そうなるについては親が忙しさにかまけて子どものために時間を割いてあげなかったからだと反省し、子どもに謝れば、lose-winになります。親子関係でも理想はwin-winが良いことは当然ですよね。
 自分の感情だけで行動するのではなく、相手の感情を斟酌して行動すると、相手も変わってきます。子どもを精神疾患者と見なすのではなく、個性として受け入れ、何を伝えようとしているのかに耳を傾けることが、つまりwin-winの関係を実現する手だてがインディゴ・チルドレン、あるいはクリスタル・チルドレン、レインボー・チルドレンという呼称なのだとすれば、インディゴ・チルドレンなどの呼称にもある面での有効性を認めることはできるかもしれません。
 しかし実際にはwin-winの関係を実現することはなかなか難しく、家族関係においてはwin-loseに走りがちで、調停における夫婦関係調整の家事事件で当事者双方が離婚原因を相手に見出そうとすることなどはその典型例と言えるでしょう。それぞれがwin-loseを追求するあまり、結果としてlose-loseの関係に陥ってしまう。それが調停における離婚にありがちなパターといえるでしょう。そういう当事者に対してwin-winの関係に気付かせることは至難のわざと言えます。これは多くの人がwin-winの関係づくりに慣れていないことによるのではないでしょうか。ということは、気づきもある程度学習によってカバーできるのかもしれません。  そこで、これをさらに発達の問題にまで敷衍してみたいと思います。どういうことかというと、未発達を個体発生は系統発生を繰り返すことを前提とするのではなく、ドゥルーズとガタリによるリゾーム(rhizome)のようなものを前提としてみてはどうかということです。つまり低次なレベルから高次なレベルにステップアップしていくのではなく、より密に回路をつないでいくモデルで考えるということです。そうすると学習によって気づきが促され、発達する。すなわち新しい回路が形成される。気づきを高次なレベルへの気づきとは別の、同一レベルにおける違う回路の存在への気づきという、二つの気づきのパターンを想定するということです。
 例えば自分の居場所がなくて登校拒否に陥っていた子どもが、家に自分の居場所ができて学校に行きはじめるといった場合の気づきは、自分で自分の居場所を確保するという、より高次なレベルの能力を獲得する方向に向けての気づきといえるでしょう。このような気づきは環境の変化や、環境のシミュレーションが有効であることが経験的に分かっています。
 これに対して、親の子どもに対する関係をwin-loseではなく、win-winの関係に導く接し方に求められる親に必要な気づきは、別の回路の存在に対する気づきでしょう。この種の気づきには、違う思考回路を経験してみる学習が必要になるのではないでしょうか。例えばロールプレイイングのような演習は有効かもしれません。しかし、私たちの思考は習慣に多くを依存しているのが実情です。経験したことのない考え方をしてみるのには大きな抵抗があるのがふつうです。これをどうやって乗り越えていくかが発達記号論の大きな課題です。[2012.05.15.記(5/20補筆)]TOPへ戻る



子どもの問題行動をめぐる親のあり方−発達記号論の可能性

 2012年4月15日、わたしは尼崎市と大阪市で、都市環境開発株式会社がわたしの協力の下に開発したマンションプランについてのセミナーの講師をつとめました。その折、参加者からわたしのテリトリー形成力の発達理論は、学問分野で言えば心理学なのか、それとも精神医学なのかとの質問を受けました。わたしは分野で言えば発達心理学だが、実験心理学を前提とする発達心理学では対象とすることはできず、理論的には記号学に依拠していると答えておきました。ここから、わたしは発達記号論という分野を発想しました。
 例えば次のケースをご覧いただきたい。

 鬱になった夫と離婚し、長女(中2/登校拒否)と長男(小6)を抱えた45歳の働く女性Xさんが、自身の離婚について「私の方は何も悪くない。」と言ったことが私は気になった。
 夫婦関係調整の調停においては、妻も夫も、自分は少しも悪くないと思っている、悪いのは相手の方であると思っているのが常である。しかし実際問題として夫婦関係が破綻に至る原因は双方にある。
 Xさんの前夫は鬱になり、それが離婚の原因だったという。しかし人間は一人で勝手に鬱になったりはしない。本人を取り巻くさまざまな社会環境、人間環境の力動の中で鬱になる。その環境の中に配偶者も当然一つの要素として位置づいている。Xさんの自分の側に非はないという言説に、むしろXさんの前夫を鬱に導いたのはXさんではなかったかという危惧を私は感じるのである。
 この推察の傍証の一つが、Xさんと再婚相手の現夫との間の、家事を巡る諍いのエピソードである。Xさんが現夫に、こなしきれない仕事量の家事を課したことで、二人の間に些細な夫婦喧嘩が生じたことがあった。おそらくXさんが現夫に課した仕事量は段取りとしてそれなりの正当性があったのだろうが、しかしあいにくそれは現夫の能力を超える仕事量であった。だからXさんはそれだけの仕事量を現夫に課したことをちっとも間違っていたとは思っていないので、それを果たさなかった現夫を責めることになる。他方、現夫はとうてい果たせるはずのない仕事量をXさんが課したことを非難し、諍いとなった。
 私の見るところ、現夫はそれきしのことでXさんに追いつめられることはないと思われる。しかし長い年月の間このパターンが繰り返されたとき、果たして現夫は鬱にならずに持ちこたえることができるのだろうか。ことによるとXさんは前夫を同様のパターンで追いつめ、前夫はそれに抗しきれずに鬱になった可能性がある。たしかに抗しきれなかったのは前夫の資質の問題であって、Xさんの責任ではないのかもしれない。また、仮に前夫の鬱の原因が前夫の職場など、家庭外にあったとしても、その鬱を緩和する機能をXさんは妻として果たさなかったことは間違いない。Xさんの「私は悪くない」という態度がそれを物語っている。
 もう一つの傍証が、前夫の子どもに対する態度である。ふだんは良い父親として子どもに接していた前夫は、機嫌が悪くなると手の平を返すように突然子どもを邪険に突き放すことがあったそうである。次第に子どもは父親を恐れるまでになったという。問題は前夫がなぜ突然子どもを突き放すようなことをしてしまうのかということである。そうなるについてはそれなりの理由があるはずで、果たしてその理由にXさんが全く関与していなかったのだろうか。前夫のストレスが嵩じた時、「私は悪くない」という前提に立つXさんの言動が、ストレスで満杯となっていた前夫の心をはじけさせてしまっても、そのことにXさんは気付かない。もちろん子どもの態度がその引き金になる場合もなかったとは言い切れないが、その頻度は極めて少なかったのではなかろうか。さもなければ前夫は子どもを受け入れたりしなかったはずである。
 いずれにしても、確かにXさんは〈悪く〉はなかったかもしれない。しかし無関係ではなかったはず。私が着目するのは、「私は悪くない」という言表に、前夫に対するXさんの責任感や、前夫を思いやる心は全く感じられないし、前夫の病気や離婚への関与を否定する心根さえもうかがえることである。
 私がこのことを問題視するのは、Xさんのこうした前夫との間の力動は、子どもとの間の力動にも反映していると考えられるからである。夫婦間のことはある意味どうでも良い。うまくいかなければ別れれば済むことだから。だが、子どもとの関係はそうはいかない。Xさんの「私は悪くない」という基本的な姿勢が、子どもとの関係に当てはめられたらどうなるか。Xさんがたとえ子どものためと思ってすることも、それが少しも子どもの心に応えてはいなかった場合、分かってもらえないという子どもの思いはストレスになって蓄積し、その結果が子どもたちの登校拒否のような行動となって表われてくることは充分予想されるのである。
 登校拒否児の場合、友だち関係やいじめ、あるいは教師との関係や勉強の問題(宿題を忘れたことを教師に叱責されたとか)が原因で起こるとよくいわれる。しかし実は、それらは原因ではなく、きっかけ、あるいは口実に過ぎない。原因は子どもと親との力動によって育まれた、その子の人間関係を処理する能力の未発達(私はそれをテリトリー形成力の未熟さと言っている)なのである。
 したがって登校拒否のような現象はその子どもの訴え(救助信号)と受け止めてあげなければならない。しかしそれは友だちや教師との関係を上手く処理できないから助けて、という救助信号ではない。心の底にある「満たされない思いに気付いて!」という救助信号なのである。いじめや教師とのうまくいかない表層関係を原因と捉えている限り、そういう心の底にある子どもの訴えを聞き届けることはできない。いくら良い親を演じてもダメ。子どもの心の未熟さに思いを馳せ、その未熟さの原因に思い至った時、始めて子どもの心の底から発している訴えは親の心に到達する。
 子どもの訴えが親の心に到達し、そのことに親が気づいた時、子どもの心のストレスは氷解し、問題行動も解消する。そして氷解が行動に表われるまでに3〜4ヶ月を要することが経験上わかっている。ただし、問題行動の解消は未発達の解消とは別である。未発達の解消には少なくともおそらく数年を要し、場合によっては一生埋めることは不可能かもしれない。いずれにせよ、問題行動の解消のためには、問題行動を原因ではないと捉えることが出発点である。そして問題行動をとる子どもの心の底から発している訴えに耳を傾けること、傾け続けることである。
 登校拒否の原因は親にあることを私が指摘しても、残念ながら現夫からは「いや、あの子の問題は友だち関係なんです」ということばしか返ってこない。彼がそう思っている限り、子どもの問題行動が解消することはない。現夫によれば子どもは依存が強いとのこと。これは生育歴において心が満たされなかったことを表している。どんなにおいしい食べ物も、満腹すれば「もういい」となるもの。親の愛情で満たされる必要のある乳幼児期に心が満たされなかった子どもは大きくなってもいつまでも渇望感にとらわれ、自立できなくなってしまう。一時も早く心を満たしてあげないと手遅れになる。心を満たしてあげるとは、問題行動で子どもが何を訴えているかに一時も早く気付いてあげること。子どもは何を訴えたいのか自分では分からないものでもある。もしそれが分かれば自ずと問題行動は消えて行く。気付いてから消えるまでが3〜4ヶ月。
 さて、私がXさんの「私は何も悪くない」という言動を問題視するのはそれだけのことからではない。Xさんと前夫との間の同様のパターンは日常繰り返され、それを子どもは目の当たりにしていたはずである。そういうパターンを果たして子どもはどう受け止めていたのだろう。どんなに恐れを抱かざるをえない相手でも、子どもにとってはかけがえのない父親である。母親が「私は悪くない」のであれば、悪いのは父親ということになる。かけがえのない父親が悪者であることは、子どもにとってはとても辛いことだろうということを母親であるXさんは考えたことがあるのだろうか。
 以前、とあるPTAの会長だった母親が、高校時代に警察の厄介になったことのある息子が小6の時のエピソードを語ってくれたことがある。当時、子どもだけで店屋に出入りすることが禁じられていたのに、忙しさにかまけて友だちと一緒に行くからというので文房具を買いに行くことを許したところ、生活指導の先生に見つかってしまった。指導を受けた時、その子は母親が近くにいるとウソをついてしまった。ウソをついたことを重く見たその先生は、母親がPTAの会長だったということもあり、そのことを母親に報告したのである。母親の述懐は「その時もっと強く叱っておくべきだった、そうすればその子が高校生になって警察の厄介になるようなことは未然に防げたのでは。」であった。  しかしそれを聞いて私が言ったのは、確かに強く叱れば叱るほど、母親は親としての責任を果たし、立派な親になるかもしれないが、逆に子どもは逃れようもない嘘つきの烙印を心に押されてしまわないかということ。その時に母親がすべきだったのは叱ることではなく、忙しさにかまけて子ども達だけで買い物に行かせてしまった親の不明を謝ることではなかったか。それはダメな親であることを認めることになってしまうけれども、でもその分、子どもの嘘つきの罪は軽減され、子どもの心は晴れたのでは。晴れ晴れとした心の持ち主は、警察の厄介にはなりにくい。
 Xさんは「私は悪くない」ことによって良い妻を演じ、その分、前夫は悪い夫、悪い父親の役を担わされることになっていたはずである。でも、そのような父親をもつ子どもの心はいかばかりか。同様に、Xさんは「良い母親」を演じてはいまいか。Xさんの子どもへの思いやりは、本当に子どもの心を満たすものなのだろうか。自己満足を子どもへの愛情と思い違いしてはいまいか。そういう思い違いをしているのではないかという内省をXさんはどれほどしているのだろうか。私は多分していないと思う。そういう内省を積み重ねている人は、「私は悪くない」とは言わないものだから。
 「私は悪くない」と言ってはばからない母親Xさんと、そういう妻との力動をコントロールできなかった鬱の「悪くされてしまっている」実父と、問題行動のきっかけに過ぎない表層的な事象を原因としか見ない養父に囲まれて、子どもの問題行動解消のめどは立たっていない。  愛とは許すこと、そして受け入れること。果たしてあなたは誰の何をどれほど受け入れていますか?

 このようなケースにおける人間関係の力動と、問題行動の構造の描出、問題行動にかかわる当事者それぞれの気づき、問題行動の解消とその先に期待される発達の獲得、などが発達記号論の対象であり、課題となります。とりわけ、当事者にどうやって気付いてもらうのかが大きな、そして難しい課題です。説明しても受け入れてもらえるとは限りません。むしろ反発を招いてしまいかねません。あくまでも気付いてもらうことが肝要です。発達記号論とは気付きによってステップアップする心のメカニズムの研究と言えるかと思います。研究の方法としては、多角的に仮説を構築し、ケーススタディーを重ねて検証し、さらに仮説を構築する作業を繰り返すことになります。チャールス・サンダース・パースの言う「推論」(abduction)です。
 発達を記号論的に考える先駆的な理論にヴィゴツキーの心理学がありますが、わたし自身心理学はやらないし、発達記号論は心理学ではありません。ただ、発達をどう説明するのかということについては検討の余地があるかと思っています。この問題については、差し当り、この頃使われ始めたwin-winな関係とか、インディゴチルドレンといったとらえ方について検討する方が、発達記号論にとっては収穫がありそうな気がしています。[2012.05.08.記]TOPへ戻る



ザ・レジデンス セミナー

家族の絆を考えた住まい「ライフサイクルフィットプラン」のベースメント

 “家を建てると不幸になるって、本当でしょうか?” これはあるセミナーで訊かれた質問です。その質問者の身近に、実際に家を建てて不幸になった知人が相次いだので気になっているということでした。
 たしかに、家を建てさえしなければ離婚せずに済んだかもしれない夫婦をわたしは何組か知っています。家を建てたら子どもが登校拒否になってしまった例、子どもに子ども部屋を与えたら情緒不安に陥ってしまった例も実際にあります。でも、家を建てても離婚しなかった夫婦はいっぱいいます。それどころか家を建てて絆が強まった夫婦もいます。家を建て、子どもに子ども部屋を与えても、子どもが登校拒否にならなかった家庭もいっぱいあります。
 おそらく家を建てて不幸になった家庭は、不幸になるような家づくりをしたからでしょう。では、不幸にならない家づくりとは? 不幸になる家づくりと何が違うのでしょうか。家を建てても夫婦が無用の離婚をしない、子どもが登校拒否に陥らない、子どもが引きこもりにならないようにするにはどうすれば良いのでしょうか。昨今では孤独死や壮年者・高齢者の自殺も社会問題となっており、それらを防ぐ家づくりも大切です。
 私のこれまでの研究によれば、それは家族それぞれの居場所が公平に確保できる家、自分で自分の居場所を作る力が育つ家、家族が一つの核をもてる家、人間関係を築くことができる家をつくることであり、私はそういう家をテリトリー形成力が育つ家と呼んでおります。私がそう考える根拠は、人が引きこもるのは、そこを留守にできるほどそこが自分のテリトリーになっていないからであり、登校拒否児が学校に行けないのは学校に自分のテリトリーを確保する力がないからです。パートナーと協力して家庭というテリトリーを形成する力のない夫婦はきっかけさえあれば離婚してしまいます。私は家庭裁判所の家事調停で、そういう例をいくつも見てきました。また、自殺は社会に居場所を失った者がします。テリトリー無しに人は生きて行けないからです。[なぜわたしが不登校と言わずに登校拒否と言うのかという質問を、参加者からいただきました。文部科学省は、以前、学校統計調査で「学校ぎらい」と呼んでいた、そこには登校拒否も含まれる項目を、「不登校」という用語に変更しました。わたしは文部科学省の用語に従っているわけで、わたしの理論は登校拒否児には当てはまりますが、不登校児全般にまで全て当てはまるわけではないこともあって、あえて不登校児という言い方を避ける場合があるのです。]

 さて、登校拒否や引きこもりにならない、生きる力の源となるテリトリー形成力の発達は概ね次の通りです。
 0 歳:泣くことで、テリトリーを形づくる重要な要素となる人とのコミュニケーションを図る、すばらしい能力を赤ちゃんは持って生まれてきます。同時にテリトリーを形成する拠点形成の感覚もこの時期に養われます。
 3 歳:自分の足でテリトリーの拡張を実習する時期です。自ずと社会化(親以外の人との関係)が経験され、ケンカなどを通してだいじな耐性が養われます。
 園児期:それまでの体験から得たテリトリー形成力を園で応用し、遊ぶことを通して家庭から離れた園に、自分の居場所をつくることを覚えます。
 学齢期:学校での応用の時期で、家庭では自分のコーナーが確保されることが望ましいです。
 思春期:プライバシーの観念が芽生え、自分の部屋を必要とするようになります。
 成 人:自立的なテリトリー形成力があって、はじめて成人と呼べる人となります。
 結 婚:結婚は核の共有です。
 家 庭:家庭は共同して形成される一つのテリトリーです。
 社会人:輻輳するテリトリーの管理能力が問われます。
 老齢期:縮小するテリトリーの受容が発達課題です。

 こうしたテリトリー形成力の発達に即した住環境を通して、テリトリー形成力は発達すると考えられます。[セミナー参加者から、テリトリー形成力の発達に即した住まいに住むと、なぜテリトリー形成力が育つのですかという質問を受けました。それは発達に即した住まいに住むことによって、適正なテリトリー形成を学習できるからと考えらるのです。]
 ところが今やテリトリー形成力が育ちにくい社会になってしまいました。テリトリー形成力を育てる上で必須である、生(なま)の人間関係の経験の機会を狭めてしまっている、少子化とIT化のためです。東京の秋葉原で起きた無差別殺傷事件は、この社会に自分の居場所を作る力を身につけることができないままに実社会に出てしまった青年が犯したものでした。東北の大震災でもで引きこもり青年が何人か犠牲になりました。おそらく皆さんの身近にも鬱の若者や、引きこもりの子どもを抱えた親御さんが複数おられるはずです。

 しかし、生まれた時からダメな子はいません。
 “‥‥やろうと思えば誰にも気づかれずにひっそりと殺人を楽しむ事もできたのである。ボクがわざわざ世間の注目を集めたのは、今までも、そしてこれからも透明な存在であり続けるボクを、せめてあなた達の空想の中でだけでも実在の人間として認めて頂きたいのである。それと同時に、透明な存在であるボクを造り出した義務教育と、義務教育を生み出した社会への復讐も忘れてはいない。‥‥”

 これは1997年に神戸市で起きた連続児童殺傷事件の犯人、酒鬼薔薇聖斗による犯行声明の一部です。ここに表現されている「透明な存在」、すなわち、世間の誰からもその存在を認めてもらえない存在であることは、この世に自らのテリトリーが存在しないことを意味しています。生まれながらにして透明な存在ということはあり得ません。生育歴において、犯人はそのように自らを表現せざるを得ない存在と化してしまったことになります。
 そんなことにならないように、私たちは今、テリトリー形成力の育つ生活環境を心がけなければならないところに来ているのです。住まいは「家族空間」ー家族関係と一体となった生活空間のこと。住まいが変われば家族関係も変わるのです。華僑のふるさとの一つ、中国福建省の客家(はっか)の人々の強い結束力が、その住まい「客家土楼」の家屋形態と無関係ではないように。[2012.04.22.記(4/23補筆)]TOPへ戻る



「ゲーム化する世界」ー福島第1原発事故に見るー
<日本記号学会第31回大会参加記>

 5月14日(土)・15日(日)に二松学舎大学(東京)で開かれた日本記号学会第31回大会に参加した。今年のテーマは「ゲーム化する世界」−パンフレットの表紙には“ゲームとは、たんなる娯楽の一分野ではない。ゲーム的なものは今や私たちの世界観・共同性表象化のあり方にも浸みだし、社会や文化の再定義を要求しつつあると言えるかもしれない…”とある。大会に参加してみて、思いがけず、このたびの東日本大震災における福島第1原子力発電所事故を思い浮かべることとなった。

 セッション1「マイコンゲーム創世記」で、三遊亭あほまろ氏はコンピュータ・ゲームが日本に入りはじめた頃を回想し、当時はゲームのプログラムをコンピュータに読み込ませることから自分でやり、デバッグしながら遊んだもので、したがってゲームのプレーヤーはイコールプログラマーであり、マイコンは自分で組み立てなければならなかったからエンジニアでもあったと言う。だから子どもが遊べるものではなく、少なくとも高校生以上の大人しかできないものだった。それが小さな子どもでも遊べるようになったのは、マイコンからファミコンの時代になってからのことになる。こうなるともうコンピュータはブラックボックスとなり、ゲームのプレーヤーはハードを組み立てる必要もないし、プログラムも関係なく遊ぶことができ、エンジニアとしての能力に代わってインターフェイスが問題になってくる。そこに高橋名人のようなプレーヤーが登場することになる。

  この話を聞いて私はすぐに原発をつくった東電がマイコン時代のエンジニアではなかったことを見抜いた。彼らはファミコン世代のゲームをつくるように原発をつくったに違いないと思ったのである。このセッションで吉岡洋氏(京都大学)はゲームを“記述可能な有限このルールと資源によって組み立てたモデル”と定義した。さしずめ東電のつくった原発モデルの有限個の条件の中には、あいにく巨大津波もマグニチュード9もなかった、これまで原発の事故のたびに繰り返されてきた、いわゆる「想定外」だったということである。

 大会のセッション2「オンラインゲームにおける共同性がもたらすもの」では、本来ヴァーチャルなゲームがオンライン化することでリアルな世界と密接に結びつき、パネラーに精神科医がいたこともあって(香山リカ氏)、そこに生じる被害者の救済も問題とされた。原発もヴァーチャルなゲームでことなきを得ている間は良かったが、いわば福島第1原発の事故は地震と津波によってオンライン化され、地域住民と生産業者が無理やりゲームに引きずり込まれ、被害者となってしまったものと言える。

 このたびの地震が「安全性神話」と「原子力発電が最も安価であるという神話」を前提としてゲーム化されていた原発の姿を白日の下にさらけ出してくれた。原子力発電という科学の先端が、手探りと手作業という極めて原始的なデバックを余儀なくされている、奇妙でちぐはぐな感じのする、いつ果てるとも知れぬ修復作業が、その否定しようのない証拠である。このゲーム化されたモデルが福島第1原発だけのものではないことは言うまでもない。何か問題のあるたびに記者会見で繰り返されてきた「東海地震に備えて万全の策を講じてある」という中部電力の浜岡原発に対する評価も同様である。その証拠に、東日本大震災後、中電は緊急時対応を確実に実施するための具体的手順の策定や、発電所敷地海側への防波壁の設置など、新たに膨大な地震対策を浜岡原発に対して余儀なくされている。

  参照:http://www.chuden.co.jp/corporate/publicity/pub_release/press/3155126_6926.html

 それ以前の「万全の策」とは何だったのか。私はかねてより中電の「万全の策」には懐疑的であったが、もはや電力会社の弁明をことば通りに信用するわけにはいかない。菅首相の浜岡原発の停止要請と、国が了解した津波対策完了後の運転再開を鵜呑みにせず、自分の目で安全性を確認したいとした川勝静岡県知事の見解(静岡新聞2011年5月17日朝刊)は当然のことであり、大いに評価したい。

 ということで、ゲームということばはどうしても「遊び」の意味合いが強く、1年も前からの企画とはいえ、この時期のテーマとしてはどうかという懸念がなくもなかったが、結果的になかなかどうして、誠に時宜を得た企画であったと私は評価した次第だ。[2011.05.18.記]>TOPへ戻る



気づきのモデル化

 家に自分の居場所がなくて登校拒否に陥っていた女の子Aが、たまたま兄が就職のために家を出たことで自分の居場所を得、学校に行けるようになった。この女の子が、家には自分の居場所がないことに気づいたのは、わたしがその子に家の間取を描かせ、家族の誰がどんな風に部屋を使い分けているのか根掘り葉掘り聞き出したためだったようだ。その3ヶ月後、兄が使っていた部屋がその子の部屋になり(そうすることを母親が認めた)、さらにその1ヶ月後にその子は学校に行き始めたのである。

 なぜ自分は引きこもるのか分かったとき、引きこもりは解消するらしい。統合失調症も同じだと、精神科の病院に勤務しているワーカーから聞いたことがある。それは人に教わるのではなく、自分で気づかなければならない。どうすれば人は気づくのか。実際、気づくことができずに不幸な目に遭っている人はずいぶん多いのではないか。

  1997年に起きた神戸市連続児童殺傷事件を起こした少年Aの親が書いた『少年A−この子を生んで』(1999年、文藝春秋)には、わが子のためを思ってすることが、何一つ子どもの心を受け止めていないことに気づかず、その満たされぬが故にモンスターと化したわが子を「一体、何者なのでしょうか?」と思い戸惑う親の姿が描き出されている。「なぜ、私たちは気付かなかったのか。」と自問しながらその答えは書かれていない。そのことに親が気づき、また少年が自らの焦燥は、親が自分の心を受け止めてくれないことから来るのだと気づきさえすれば、あのような事件は避けられたかもしれない。

 いま、32歳になる引きこもり青年Bを開放するための、気づきをテーマにしたささやかなプログラムを展開しつつある。引きこもりの子をもつ親の会のカウンセラーから、親が沈み込んでは良くないから、努めて気にせずに過ごすように言われて、引きこもりの息子がいることなどつゆ感じさせないようにお気楽に過ごしている親に、親がいくらお気楽に過ごしたところで息子が出てくるようになるわけではないこと、そしてなぜ息子が出て来られないか気づかせることによって生じる親の変化を介して息子の変化を期待しようというのがプログラムの骨子である。

 このプログラムの推進途中、図らずも、ある公立中学校に勤務する家庭科教師の過酷な勤務環境を改善する動きにかかわることになった。わたしは昨秋にはその状況を知り、勤務環境改善に向けて静岡大学の名誉教授という、つまり現役を退いた立場で可能な手づるに働きかけをしておいた。今年に入ってからもその努力は断続的に行ってきたが、5月になって一向にその効果が現れていないことを知った。その情報は、本人の精神面のストレスが危機的な局面に立ち至っている可能性をうかがわせるものであった。わたしはやむなくその中学校に直接乗り込み、校長に直談判するという行動に出た。最悪の場合、人命に関わると考えたからである。幸い、当校の管理職の理解を得、いま、改善されつつある。

 しかしその経緯の中で少なからず驚かされたのは、わたしが校長に直談判した結果、そういう事態が足下で生じていることを校長はすでに承知していたことである。昨年来わたしが行ってきた工作はそれなりの成果を生じていたのだ。しかし結果として何も手は打たれていなかった。もちろんその認識は危機的段階にあるかもしれないというものではなかったからであろうが、そうなる危険性を管理職連中は全く考えていなかったらしいことに驚かされたのだ。と同時に、わたしはそこに社会の中でひとりの人間が犠牲者と化す構造をかいま見た気がした。これはいわば危機管理の問題と言えるのだが、どこか気づきの構造にも通じる面があるように思える。

 これらのことを盛り込みながら、気づきを促すモデル、ひいては引きこもり解消の処方のモデルを仮説として、今、構築しようとしている。[2010.07.01.記/2011.04.17.補筆]TOPへ戻る



DVについて考える

 DV−ドメスティック・バイオレンス−いま、この問題に少しこだわり始めています。家庭裁判所の家事調停で、DVがらみの事件を扱う機会が若干増えているような印象を持っていることも影響しています。たいていは夫による妻に対する暴力なのですが、概して妻の側はDVと思っていても、夫は一向にそうは思っていない。そういう夫にあなたのやっていることはDVなのだということを認めさせるのは至難の業だ。あるいは当事者双方(夫婦)の話を聞くとどうもDVではないかと思われるケースでも、当事者にそういう認識のない場合もある。あるいは双方共に夫のDVであることを認めながら、被害者に対するカウンセリングの機会は公的機関によって用意されていても、加害者に対するそれが用意されていないがために、どうにもDVの状況から脱却できずに悩んでいるケースもある。
 調停はあくまでも調停室内での当事者の話合いで問題解決を図る手続きであるために、DVに対してできることには限りがあるように思えるが、さりとてそのようなケースを不成立として処理したからといって、訴訟で離婚が勝ち取れる保証はない。
 また、私的な身近にもDVの問題を抱えている人がいて、Aさんは結局離婚にこぎ着けたが、彼女はそこそこ自分というものを持っている女性だった。しかしBさんはその点暴力を振るう相手に自分を合わせてしまう傾向の人で、悩んでいる。一体Bさんはどうするのが良いのか、またBさんにできるアドバイスは何なのか。
 そんなことが、DVについて少し本気で考えてみようという気を私に起こさせたのです。インターネットのDVを扱ったサイトを見ていたら、“DV被害者は自分が変われば相手も変わると思って頑張るけれど、それは報われることはなく、無駄なことなのだ”と書いてある。やはり被害者には逃れる以外に道はないのだろうか。たまたま知り得たDVを扱った小説『黒と青』(アナ・クインドレン著、集英社)を取り寄せてみた。“はじめて夫に殴られたのは19のときだった”という書き出しで始まるその小説には、夫の暴力から子どもを連れて逃れ、姿を消した妻が何時夫に居場所を嗅ぎつかれるかとおびえながら暮らす生活と、結局夫に子どもを連れ去られ、本人も死んでいたかもしれない暴行を受けてしまう悲惨な結末が描かれていた。結局被害者が逃れ切ることは無理なのだろうか。
 DVの加害者としての自覚のある方にお会いしたとき、被害者に対しては公的なカウンセリングの機会が用意されているのに、加害者のためのそれがなく、高い料金を払っての民間の治療機関ではお金が続かないとの悩みを聞かされた。おそらくそのような治療を受けなければと自覚できる加害者が極めて少ないことにもよるのだろうが、それではDVの解決の道はおぼつかない。そのことをあるカウンセラーにお聞きしたら北陸内観研修所を紹介してくださった。しかしこれとて富山市にあり、1週間の滞在を勧められた。自覚のある加害者にとっても容易ではないだろう。ましてほとんどの自覚のない加害者の場合はどうすればよいのか。DVに解決の道はあるのだろうか。[2010.03.04.記]TOPへ戻る



家庭教育・家庭科教育がますます難しくなってきた?

 先日、静岡県中部の高等学校家庭科の先生の研修会に招かれ、「住居学の視点−住まいから家族を見つめる」と題して話をさせていただいた折りのこと、ある先生が「私たちは結婚しない、子を生まないという生き方も選択肢とする授業をしている。」と発言されました。その意図をはかりかね、「それは当然のことだと思います。」としか答えられませんでした。講演が終わった後で、私の話を聞いてくれていた、私の教え子だった先生が、この頃は「私は結婚しません」「私は子どもは生みません」とはっきり言う生徒がいて、授業で結婚・子を生むことを是とすることが言いにくくなってきていることを聞かされ、あぜんとすると同時に、先の発言も、そういう状況を念頭に置いてのことであったのかもしれないと、遅ればせながら思ったことでした。

 私はカレル・ヴァン・ウォルフレンが『人間を幸福にしない日本というシステム』(毎日新聞社1994年刊)という本の中で言っていた“なぜ、この国の女性は世界一晩婚なのか? そして、なぜ結婚しないと決めてしまった女性の数も驚くほど多いのか? また子供を産まないと決めた女性も多い。なぜか?”ということばを思い出します。私は平成19年度まで20年間静岡県住まいの文化賞の審査委員長をしており、近年は現地審査の折りに子どもをもうけないと決めておられるように見受けられる夫婦の住まいを見る機会が増えてきたことを実感していました。日本の合計特殊出生率の低さがそんなところにも現れていることを、複雑な思いで受け止めていましたが、まさかそういった状況が学校の教育現場にまで及び、あろうことか、結婚し、子を生むことを望ましい選択肢として言うのがはばかられる状況にまでなっているというのですから、これは深刻です。

 私の教え子先生によれば、結婚しない、子はつくらないと明言してはばからぬ生徒の背後には、離婚した親の存在があるとのことでした。確かに私が静岡家裁の家事調停で出会う離婚事件では、互いに憎み合って別れていくケースが少なくありません。一緒に住まない親と子の面会についても、「あんな男に子どもを会わせる気はない」「あんな女に子どもを会わせてなんかやるもんか」といった親権者となった親の憎しみに満ちたエゴの本音をいかんともしがたい場面に常に遭遇させられているのが実情です。それだけに、高校生にしてすでに結婚を憎み、子をもうけることを厭う気持ちに陥るというのはウォルフレンならずとも「不幸なこと」だと言わなければならないと私は思います。少なくともそういった状況を下敷きにした「結婚しない」「子を生まない」選択は健全とはほど遠い。

 2008年、静岡県の社会教育委員会は審議報告の中で、「家庭教育で自立心の育成を」と訴えました。また、学校教育においても、最近の学習指導要領では小学校家庭科の学習目標に、自分の成長を自覚する;家庭生活を大切にする心情を育む;自分と家族などとのかかわりを考えて実践する喜びを味わう、といった文言を盛り込みました。子どもの自立心を育むためには、親はどんな子育てをすれば良いのでしょうか。家庭科の授業を通して生徒が自らの成長を自覚し、家庭生活を大切にする心情を育むにはどんな授業をすれば良いのでしょうか。家族だけに留まらず、家族以外の人とのかかわりを考えさせるというのは、昨今の無差別殺人といった事件を念頭に置いた人間関係、適応能力の育成を目指しているのでしょうが、憎しみ合いながら崩壊していく家庭という実態を目の当たりにしながらでは、容易なことではありません。

 しかし少子化がさらに進めば、やがて国が成り立たなくなってしまうことは明らかです。国家という単位を解消せざるを得なくなるまでは、やはり結婚して子をもうけることを基本とする社会の仕組みとあり方を維持すべく努力していかざるを得ません。そういう意味で教育現場の先生方は、「結婚しない」「子を生まない」選択肢を容認しつつも、やはり基本は「結婚して子を生む」ことにあることを勇気を持って言っていただきたいし、私自身はそのための理論化と研究という重い課題をいただいたように思います。さしあたり、来年の1月に静岡大学付属幼稚園主催の「子育て講座」の講師を依頼されているので、その話の内容にこの課題を反映させねばならないと考えています。[2009.08.20.記]
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秋葉原無差別殺傷事件に学ぶ子育ての基本

 とんでもない事件が次々に起こる昨今。世間を驚かせた事件も半年も経たずして風化してしまいかねない。そんな有様に流されることなく、学ぶべきは学んでおきたい。ここでは、2008年の6月に東京の秋葉原で起きた通り魔事件に、子育ての基本が何なのかを見ておきたい。それは携帯のサイトに本人が書き込んだと見られている文章にある。

 “親が書いた作文で賞を取り、親が書いた絵で賞を取り、親に無理やり勉強させられてたから勉強は完璧”。
 “親が周りに自分の息子を自慢したいから、完璧に仕上げたわけだ 俺が書いた作文とかは全部親の検閲が入ってたっけ”。
 “高校出てから8年、負けっぱなしの人生 悪いのは俺なんだね”。

 彼は小中学校までは優等生だったのが、高校に入ってから崩れ、卒業後の進学も思い通りにはいかなかったという。しかしこの書き込みから、中学までの優等生が、実は親の手によって作られたものであったことが分かる。学校の勉強も中学ぐらいまでは親が取り繕うこともできるが、高校になると難しくなってそうはいかなくなる。そこから自分で努力して自力をつければよいのであるが、それはそう簡単にはいかない。それまで親がやってあげていたために、急に放り出されてさあここから先は自分でやれと言われても、自分で努力することが身に付いていないからどうすればよいのか分からず、やったところで成果が上がらない。社会に出ても同じこと。やがてストレスも嵩じ、自暴自棄になり、挙げ句の果てが家庭内暴力ならぬ無差別殺傷という家庭外暴力だったというわけである。

 家庭内暴力児や登校拒否児が世間をにぎわした1980年頃、過保護・過干渉ということがよく言われた。秋葉原の事件の背後には、まさに親の過保護・過干渉によって発達を阻害された子どもの姿がある。近年、過保護・過干渉ということばを聞かなくなってしまったが、それは形を変えて根強く子育ての現場に引き継がれていることを、見せつけられた思いがする。ここに過保護・過干渉の何たるかを学び、是非、自らの子育てに応用していただきたい。

 言うまでもないと思うが、子どもの勉強を見てあげるというのは、親が手を加えて良い成績がとれるように偽装することではなく、子どもが自ら努力し、解決する力が身に付くようにしむけることである。たとえば子どもの間違った解答を見つけた時は、正しい答えを示してあげるとともに、なぜそういう間違いをしたのか、その原因を子どもに気づかせてやることであり、正しい解答が身に付くように繰り返し練習を促すことなのである。そうすることによって身に付く能力は、学校の勉強に留まらない。そして、そういう親子の関係の基に育てば、子どもが人との良好な関係を築けないはずがない。それらは社会に出てからの人間としての基礎力になるのである。[2008.07.15.記]TOPへ戻る



『住まいと暮らしが、ハーモニー。』

 静岡県住まいの文化賞創設20周年記念誌『住まいと暮しが、ハーモニー。』が2008年3月に静岡県住宅振興協議会より発行されました。内容は、住まいの文化賞の最優秀賞(県知事賞)を贈られたこれまでの住まいの再訪記を中心に、住まい手と設計者と施工者の対談などで構成されていて、住まいづくりに必須のノウハウが一杯詰まった、とても興味深く、また住まいづくりの参考になること請け合いです。静岡県住宅振興協議会は静岡県県民部建築住宅局住まいづくり室内に事務局を置く、静岡県の住宅産業振興のための組織です。電話は054-221-3084ですので、関心のある方は連絡をして、お求めになると良いと思います。
 私は静岡県住まいの文化賞の審査委員長を昭和63年度の第1回から平成19年度の第20回までずっと務めさせていただいだので、私にとって、この記念誌の発行はとりわけ感慨深いものであります。そこで、ここに少し、そのことに触れてみたいと思います。

 静岡県住まいの文化賞は、静岡県内において、自然・風土・伝統文化など、地域の特性を生かした住宅と、住生活および住文化の育成に貢献した個人または団体を顕彰するもの、ということになっています。しかしそれは具体的に何がどうなっていれば特性を生かしたといえるのか、また住生活・住文化の育成に貢献したといえるのかということになりますと、さらに踏み込んだ評価基準が必要になってきます。

 それを説明するということになりますと、住まい手のライフスタイルを設計者がどう受け止め、提案し、施工者はそれをどのような技術で実現したか、その結果、住まい手はどのように住みこなしているのかという、住まい手と設計者、施工者の三者の協調を評価する表彰制度であるということになります。これは住宅の設計が単に間取りや建物の形の設計ではなく、そこに住む家族の暮しの設計でもあることからすれば、当然の評価基準といえますが、実はこれはそう簡単なことではありません。

 たとえば学校建築の設計を例にとって考えてみると、設計者は学校の教育理念や経営まで設計することになります。オフィスビルであればその会社の経営組織まで設計するのです。もちろん実際にはそんなことはふつう行われていません。でも、実はそれは建築設計の理想なのです。あくまでも理想であって、やりたくてもやらせてもらえないというのが実情です。学校の教育理念や経営の仕組みは「与条件」として設計者に与えられるのが実情です。

 ですから多くの場合、建築賞は建築主の理念や経営にどうかかわったかなどは評価の対象とはせずに、もっぱら「造形」に限って評価をしているのが実情なのです。つまり、ここに、「良い建築」とは「造形的に優れた建築」であるという通念を生む素地があるのです。

 しかし静岡県住まいの文化賞はそこに堕すことを快しとしませんでした。あくまでも住まい手と設計者と施工者の三者の協調を評価するという理想を貫いたのです。つまり静岡県住まいの文化賞にとって「良い住宅」とは、「造形的に優れた住宅」ではなくて、「三者の協調が優れている住宅」なのです。そのために、竣工したばかりで実際に人が住んでいない住宅や、引っ越して間もない住宅は評価のしようがないということで、少なくとも6ヶ月以上住んだ住宅を応募対象にしているのです。

 実際、第1回目の住まいの文化賞に入賞した住宅の中には、建ててから13年も経った住宅がありました。ふつう、建築賞は竣工したての建築に与えられ、この点も、静岡県住まいの文化賞の、いわゆる建築賞とは性格を異にするところであります。したがって、いわゆる建築賞を理解するつもりで静岡県住まいの文化賞を理解しようとすると、理解に苦しむことが少なくありません。入賞した住宅を見ても、造形的に少しも優れているとは見えない、何でこんな住宅を表彰するのだという意見を抱くことも少なくないのです。

 もちろんこのような評価基準が最初からすんなり用意されていたわけではありません。審査委員が侃々諤々議論を積み重ねてつくってきたものです。この表彰制度が住まいの文化賞と銘打っていたこともあって、「住まいの文化」とはいったい何なのかということが、はじめから審査員の頭を悩ませました。おそらくこれが「住宅賞」とでもなっていれば、それほど考え込むこともなかったかもしれません。対象を住宅に限定した建築賞の一つという程度の理解で済まされていたのではないかと思います。それが「住まいの文化賞」ということになると、「住宅」と「住まい」とは同じなのかどうか、違うとしたら何が違うのか。それに「文化」がつくとどう変わるのか、といったことが審査のたびに議論されました。

 そういう議論を通して確認された評価基準にもう一つ、「特殊解の中に一般解を見いだせるか」というのがあります。これは住宅に限らず建築というのは特定の土地の上に建てられているため、全て特殊解であるといえます。しかしそれでは比較して優劣を競うのが困難になってしまいます。そこで考えだされたのが、その特殊解である建物、住宅が、他にも応用できる普遍性をどれほど内包しているのかを見て評価してはどうかということです。

 これは応募される住宅が実に多岐にわたり、戸建て住宅もあれば集合住宅もある。専用住宅もあれば併用住宅もある。豪邸もあればローコスト住宅もある。大邸宅もあれば小住宅もある。ということで、これらを同じテーブルに載せて比較して優劣を見極めるためには、どうしても必要な評価基準であったのです。しかし一般解、普遍性といっても、具体的に何がそれに該当するかを審査員はひとつひとつ見極めることを求められるのですから、かなりの見識を持ち合わせなければ務まりません。これもきわめて理想主義的な基準といえます。

 しかしさらにこの観点を敷衍し、先の三者の協調という評
価基準と組み合わせると、どのような暮しの提案がなされて
いるのか、という評価基準も浮かび上がってくることになり
ます。そこまで考えくると、一般解とか普遍性といったもの
が何を指すかがある程度見透せるようになってくるのではな
いかと思いますが、単に造形的に優れているといった基準と
は全く違う評価基準であることがお分かりいただけるのでは
ないかと思います。

 さて、こういった理想主義的な評価基準がどうして形成で
きたのかについてはいろいろな条件があったからだと思いま
すが、一つには、私がずっと継続して審査委員長を務めさせ
ていただいたということがあったと思います。審査員はこの
賞の主催者、静岡県住宅振興協議会の構成員である住宅産業
関係のいくつかの団体・組織から選ばれている関係で、いわ
ゆる「当て職」として、何年かすると人が交代してしまいます。結局、創設以来20年間、ずっと審査委員であり続けたのは学識経験者という第三者的立場で加えられた私だけになりました。やはり全員入れ替わってしまっては議論の積み重ねは難しかろうと思います。

 もう一つ重要なことは、実は「家族空間研究」を標榜する私にとって住まいの文化賞は貴重な検証の場であり、そのことと評価基準は軌を一にしていたということがありました。「家族空間」とは、「家族の人間関係を内包する生活空間」のことで、これがどういうものであるのかについては私も編著者の1人として名を連ねている『ゆれうごく家族?地域は子どもをどう支えるか』(ミネルヴァ書房1985年刊)をご覧いただきたいのですが、住まい方どころか住みこなしまで含めて評価しようという三者の協調にしても、一般解としての住まいにしても、そこに通底しているのが、この家族空間という捉え方なのです。
 したがって、住まいの文化賞と家族空間研究は、私にとってはクルマの両輪のような関係にあったわけです。しかし昨年静岡大学を定年で退職し、今年また、住まいの文化賞の審査委員長の座も降りることとなり、私の研究生活も一段落です。[2008.04.10.記]TOPへ戻る



メッセージ

 本を出しました。タイトルは『家族の絆をつくる家−失敗しない住まいづくりのための30講』出版社は平凡社です。

 1985年に『住まいの家族学』という本を丸善出版株式会社から出しました。講演のたびに、書いた本は?と問われるのですが、残念なことにこの本は今では図書館でしか読むことができません。絶版ではないのですが、出版社が100冊単位で注文しないと印刷してくれないのです。ですからこのたびの出版はとてもありがたく、また『住まいの家族学』には書くことができなかった、住まいや住まい方を変えることで登校拒否児が学校に行くことができるようになった実例など、私の理論の検証を含めることができました。

 私の理論は、登校拒否のような家族関係に関係した精神病理が、住まい方によって家族関係についての情報が媒介された結果であるというものです。登校拒否になるような子は自分で自分のテリトリー形成をする力が弱い子で、テリトリー形成力は生育歴における住環境に大きく左右されます。そこで私はテリトリー形成力の発達モデルを作りました。このモデルにより、たくましいテリトリー形成力を育むにはどうすれば良いのかの処方を得ることができるのです。TOPへ戻る



住まいを見直してみませんか?

 どんな間取りの家に、どんな家族がどんな住まい方をしているのかを見れば、その家族が抱えている問題の病理を理解することができることをご存知ですか。たとえば、子どもが登校拒否であればその子がなぜ学校に行くことができないのかが分かるのです。<br> ということは、その問題解決の仕方も分かるということになりますよね。実際その通り。住まい方を変えるだけで登校拒否児が学校に行けるようになることもあるのです。住空間というのはそれほどそこに住む人の人間関係と深くかかわっているということなのですね。ですから、私は家族の人間関係を含んだ生活空間という意味で、「家族空間」ということばを使いました。1985年に出した『ゆれうごく家族』(ミネルヴァ書房)という本の中でのことでした。

 一度、暇を見つけてご自分の家の間取りを方眼紙に書き取って、家族の誰がどこをどんな風に使っているのか書き込んでみることをお薦めします。多分、家族一人一人のイライラや不満や悩みなどが聞こえてくるはずです。そうしたら、どこをどうすればそれが軽くなるか、工夫を考えてみてください。そしてそれを実行してみてください。

 もちろん問題解決のためには、家を建て替えないまでも増改築したりすれば、それに越したことはないかもしれません。でも、よーく考えてみると必ずしもそこまでしなくても方法は案外あるかもしれませんよ。家族で色々意見を出し合ってみてはいかがでしょうか。TOPへ戻る



「家族空間」という視点の難しさ

 2007年5月13日(日)、日本家政学会の全国大会が行われている長良川国際会議場(岐阜市)に、同学会の住居学部会に呼ばれて行ってきました。話の内容は私の研究成果である家族空間病理学の理論と、テリトリー形成力、そして、今、住居学に求めたいことについてでした。聞きに来てくださった方々は住居学、もしくは住教育に関心のある家庭科教育の専門家ですので、単刀直入に専門的な視点で話をさせていただいたのですが、「家族空間」という視点の難しさを改めて認識させられたような気がしました。居合わせた質問者によれば、住まい手にとって住居は与えられるものであって、与えられた住居をどう住みこなすかというところではじめて機能するのが住居学であるというのである。住居学にできることは住環境をどう整えるかであって、家族の問題はそこから先の話でしかないというのである。それでは「家族空間」などという概念は存在の余地がない。私は住居学の専門家がそういう捉え方をしているということに正直に言って大きな衝撃を受けてしまった。住居学の専門家はなぜ住居学をそのように限定してしまうのだろうか。どういう住まいにするのかは住まい手の問題ではないか。どういう住まいにするのかは家族のあり方の問題ではないのか。住居学はなぜそういう視点で学問としての枠組みを設定することが出来ないのだろうか。かつて、平成元年度の学習指導要領では、家庭科の領域の一つである「家族の生活と住居」は、家族の生活と住居を関係づけて学習させることを前提としていた。どういう住まいにするのかは建設業者のすることで、家族の問題までは踏み込まない住居学では家庭科教育の役には立つことができないだろう。どういう住まいにするか建設業者や建築士に提案出来る住まい手を育て、家族のあり方を踏まえて住環境を考えることができる住まい手を育てることができる住居学とはどういうものか知りたい方は、ぜひ、『家族の絆をつくる家』を読んでいただきたいと思う。TOPへ戻る
近 況
■2023年8月17日(木)マンションみらい価値研究所のセミナー[住まい方ひとつで人間関係は変わるーマンションで暮らす「配慮が必要な方」への支援]にゲストとして参加。
■2022年4月の不登校当事者による座談会[ココミラ+主催]を機に、参加者の一人からトラウマ克服の方法の助言を個人的に求められ、サポート。約3ヶ月を経て健康を回復。拙論「家族関係修復のセミオシス」(日本記号学会編『着ること/脱ぐことの記号論』新曜社2014、pp.204〜220)を仕込みとし、フィジカルサプリとして呼吸法を、メンタルサプリとして人生経験談などを使用。
■2022年4月2日(土)不登校当事者による座談会[ココミラ+主催]に助言者として出席(於・焼津市内)/cf.静岡新聞2022.4.15・22
■2020年11月14〜15日(土〜日)日本記号学会第40回大会(於・京都大学)
■2014年5月24〜25日(土〜日)日本記号学会第34回大会(於・東京大学)
■2014年1月~5月(株)住まいる工務店社員研修
■2013年76月~10月(株)アクアラボ社員研修
■2013年5月18〜19日(土〜日)日本記号学会第33回大会(於・京都精華大学)
■2012年5月12〜13日(土〜日)日本記号学会第32回大会(於・神戸ファッション美術館)
■2012年4月27日(金)平成23年度静岡地区調停協会年次総会(於・ホテルプリヴェ静岡ステーション)
■2012年4月15日(日)都市環境開発株式会社 新森駅前ザ・レジデンス;尼崎ザ・レジデンス セミナー「家族の絆を考た住まい」(於・都市環境開発販売センター<尼崎><新森>)
■2012年1月13日(金)静岡県インテリアコーディネーター協会顧問親睦会講話「3.11以降のすまいのありかた」(於・静岡市ホテルニューシズオカ)
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